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アジアに開く玄関口 発展する港と空港

遣唐使や博多商人が海外へ向けて出港した「博多大津」(現「博多港」)は、現在に至るまで、日本の窓口としてその役割を果たしている。また、空の交通を担う飛行場も、初期の水上飛行機の拠点・名島から雁ノ巣、席田(むしろだ)の軍用飛行場を経て、規模を拡大しながら国際的な空港に成長した。


「大宰府」の外港 『続日本紀』に「博多大津」の記載

古代の「博多大津」(現「博多港」)において、「鴻臚館」を出た遣唐使の一行が遣唐船に乗り込もうとしている風景を再現したもの。1936(昭和11)年、「博多築港記念大博覧会」での展示風景である。【画像は1936(昭和11)年】

「博多湾」に注ぐ「那珂川」 港町を貫く MAP __

中洲を挟んで流れる「那珂川」「博多川」沿いの一帯は、近代的な「博多港」が開かれる前には、港町・博多の港湾の中心地だった。この写真でも、大小の船が石造りの岸壁に繋がれた様子が見える。【画像は1907(明治40)年】

現在の「那珂川」は、水上バスでの観光もできるようになった。

近代の港は1899(明治32)年開港 乗降人員数は日本一に MAP __

「西公園」付近の海岸(「荒津山」の東麓)は「福岡船溜」と呼ばれ、「福岡漁港」となっていた。写真は、「西公園」から、戦後に整備が進められた「博多湾(港)」と、向こう側に広がる福岡市内を眺めた様子。【画像は昭和中期】

港湾が整備されるにつれ、「博多港」の風景も変化を遂げている。国際ターミナルが開港した1993(平成5)年以降、日本一の乗降人員を誇っている。

「名島水上飛行場」 大阪・上海に航路 MAP __

1930(昭和5)年に開かれた「名島水上飛行場」は、アメリカの飛行家、リンドバーグ夫妻が来訪したことでも知られる。大阪、上海との間に定期航路があり、飛行機を吊り上げる巨大なクレーンがランドマークとなっていた。【画像は昭和前期】

飛行場のあった付近は埋め立てにより、風景は一変した。現在は住宅地になっており、記念碑がその歴史を伝えている。

「福岡第一飛行場」 1936(昭和11)年、雁ノ巣に開場 当時は日本最大規模の国際空港 MAP __

「名島水上飛行場」のあとを受けて、1936(昭和11)年、「海の中道」の雁ノ巣付近に建設された。戦前には中国、朝鮮、台湾方面への航路があり、当時としては日本最大規模の民間国際空港となっていた。現在、跡地は「雁の巣レクリエーションセンター」となっている。【画像は昭和前期】

「福岡空港」 スタートは陸軍の「席田飛行場」 MAP __

「太平洋戦争」中の1944(昭和19)年、陸軍は「席田(むしろだ)飛行場」を着工し、翌年に滑走路が完成。戦後はアメリカ軍に接収され「板付基地」として使用(1972(昭和47)年に大部分が返還)、1951(昭和26)年には、戦後初の民間航空路線として、「日本航空」の福岡-大阪-東京路線が開設された。【画像は昭和中期】

「福岡空港」は、都心部とのアクセスの良さから、日本有数の利便性を誇る空港のひとつとなっている。


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