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市民参加の熱い祭り 全国に名高い特産品

博多(福岡)の街は、「博多祗園山笠」「博多どんたく」「玉取祭」など、全国的に知られる祭りで大いに賑わいを見せる。また、この街の特産品としては「博多織」「博多人形」が有名で、博多の食も全国で人気のものが多い。


博多を代表する夏祭り 「飾り山笠」が街を彩る MAP __(櫛田神社)

博多(福岡)を代表する「櫛田神社」の夏祭り「博多祗園山笠」では、14の「飾り山笠」が各町で公開される。この「飾り山笠」は明治期に電線が架設されたため、実際に動かす「舁(か)き山笠」と分化した。【画像は明治後期~大正期】

「博多祗園山笠」の起源には諸説があるが、鎌倉時代の1241(仁治2)年という説が有力である。半月間にわたって行われる祭りのクライマックスは7月15日の「追い山笠」「櫛田入り」である。【画像は大正期】

松囃子から発展 どんたく隊が演奏を披露

毎年5月3、4日に行われる「博多どんたく」は、年賀行事の「松囃子(まつばやし)」が起源とされ、今から400年前、博多町人が「名島城」城主となった小早川氏の居城へ年賀のお祝いに出向いたと伝わる。明治時代に「博多どんたく」と呼ばれるようになった。【画像は大正期】

1月3日に開催 「筥崎宮」で男たちが豊年を占う

「玉せせり」ともいわれる「筥崎宮」の「玉取祭」は、起源は定かではないが、室町時代に始まったともいわれ、「九州三大祭」とされる。1月3日、締め込み姿の男たちが幸運を授かるとされる「陽の玉」をめぐり争奪戦を繰り広げる。【画像は大正期】

鎌倉時代に宋から伝わった「博多織」 江戸時代には幕府へ献上

江戸時代、福岡藩主黒田氏から幕府に献上されたことから「献上博多」といわれた品質を誇る「博多織」は、博多(福岡)の伝統産業として全国に知られる。中でも「博多帯」は歌舞伎役者が使用するようになったことで、人気を得た。【画像は昭和前期】


伝統を受け継ぐ博多人形・独楽 明太子やラーメンも全国に

「博多人形」の売買の様子

「博多人形」の売買の様子。【画像は昭和前期】

「博多人形」の素焼きに上絵を描く様子

「博多人形」の素焼きに上絵を描く様子。【画像は昭和前期】

「博多織」のほかにも、博多・福岡には長い歴史をもつ伝統工芸品が存在する。それは「博多人形」や「博多独楽」「博多曲物」といった木工品である。

「博多人形」は、福岡藩の初代藩主、黒田長政が「舞鶴城」建設に伴い諸国の職人を集めた折、その職人たちの間から素焼き人形が生まれ、現在に至ったといわれる。江戸後期に正木宗七、中ノ子吉兵衛らの名工を輩出し、明治以降は国内外の博覧会でも高い評価を得て「博多人形」の名を全国、世界に広めた。このほか、木工品としての「博多独楽」や「博多曲物」は庶民の生活の中から生まれ、職人の間で受け継がれながら、博多を代表する工芸品となった。現在、博多区上川端町の「櫛田神社」のすぐ近く(北側)に「はかた伝統工芸館」があり、職人の技を伝える作品やその製作過程、歴史などが紹介されている。

また、博多・福岡は食の宝庫としても知られる。玄界灘の魚介類といった海の幸を生かした料理のほか、明太子や博多ラーメンといった独特の食が生み出されてきた。水炊きやもつ鍋といった鍋料理も、博多・福岡を代表する料理として有名である。


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