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近代都市の輪郭形成 公園、大学、鉄道

商人の町・博多、城下町・福岡が合併して誕生した福岡には、県庁だけでなく、九州を代表する大学などが置かれた。「明治維新」後、近代的都市として発展する中で、鉄道や道路が整備され、各所に公園が開かれた。また、埋め立てなどで市街地は拡大した。


1876(明治9)年に開園 歴史を語るパノラマ館 MAP __

「東公園」は1876(明治9)年に開園した福岡初の公園(「東松原公園」)で、1900(明治33)年に現在の名称となった。この「東公園」には「日露戦争」後、パノラマ館が建設され、戦争を描く大画面が公開されていた。【画像は明治後期】

「東公園」は「亀山上皇像」をシンボルとして、約7万㎡の園地が広がる。

出発は「京都帝国大学」の分科大学 1911(明治44)年「九州帝国大学」に MAP __

現在の「九州大学」は、「京都帝国大学」の分科大学である「福岡医科大学」に始まる。そこから、1911(明治44)年、医科大学、工科大学の2科大学をからなる「九州帝国大学」が誕生した。工科大学(1919(大正8)年より工学部)は粕屋郡箱崎町(現・東区箱崎)に置かれ、1924(大正13)年には、敷地内に法文学部が設置された。写真は「法文学部本館」で、1925(大正14)年に前面部分が、翌年全体が竣工した。【画像は昭和初期】

「九州大学」は現在、「伊都地区」「病院(馬出)地区」「筑紫地区」などに分かれている。写真は2016(平成28)年に撮影した「箱崎地区」の旧「法文学部本館」。この建物は、近年は「応用力学研究所本館」として使用されたが2006(平成18)年に閉鎖、2017(平成29)年に解体された。「箱崎地区」にあった学部などは、2018(平成30)年に「伊都地区」へ移転が完了、現在は敷地・建物の一部が「(旧)箱崎地区」として残され、「総合研究博物館」と「大学文書館」が利用している。現在、広大な「箱崎地区」の跡地では再開発が計画されている。【画像は2016(平成28)年】

「箱崎海岸」に汐湯「抱洋閣」 辰野金吾設計の宿泊施設 MAP __(抱洋閣跡地) MAP __(箱崎水族館跡地)

「箱崎海岸」には、1907(明治40)年頃に海水浴場が設けられ、1909(明治42)年には「箱崎浜」に汐湯と宿泊施設からなる「抱洋閣」が開業した。写真は開業当時の様子。「抱洋閣」の跡地は「福岡市東区役所」前の国道付近となる【画像は1909(明治42)年】

1910(明治43)年には「第13回九州沖縄八県連合共進会」が天神一帯で開催されるが、その付帯施設として、「箱崎水族館」が開業。「箱崎海岸」一帯は海浜リゾートとして賑わうようになった。「抱洋閣」と「箱崎水族館」は、昭和初期の国道の建設と海岸の埋立てにより閉鎖された。「箱崎水族館」の跡地は「東浜公園 」付近となる。【画像は明治後期~大正期】

「多々良川」に九州鉄道の橋梁

「名島」と箱崎の間を流れて、「博多湾」に注ぐ「多々良川」。1891(明治24)年、「博多駅」から「門司(現・門司港)駅」までの路線(現・鹿児島本線)を開通した九州鉄道は、「多々良川」に橋梁を設けた。 MAP __【画像は大正期】

この付近の「多々良川」にはJR鹿児島本線の橋梁のほか、複数の橋が架かっている。写真は西鉄貝塚線「名島川橋梁」。 MAP __

天神にあった県庁 1981(昭和56)年に現在地に移転 MAP __(アクロス福岡)MAP __(現・福岡県庁)

「福岡県庁」は1876(明治9)年に「福岡城」内から天神に移転し、1915(大正4)年にはルネサンス様式の新庁舎が建てられた。その後、1981(昭和56)年に現在地となる「東公園」へ移転している。【画像は大正期】

1995(平成7)年、天神の「福岡県庁」跡地に竣工した「アクロス福岡」には、福岡シンフォニーホール、国際会議場などが入る。


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