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街の発展にも寄与した博覧会と共進会

明治中期以降、福岡・博多では大規模な博覧会や共進会が開催され賑わいを見せた。開催に前後して、建物の建設やインフラの整備も進み、街の近代化に拍車をかけた。会場となった土地は、開催前は空き地や埋立地などであったが、開催後に整備され、新しい街へ発展していった。


街の発展を促した、2回の「九州沖縄八県連合共進会」

共進会とは、産業の振興のため、物産や工業製品などを展示・品評する博覧会のこと。明治期を中心に、東北・関東・関西といった地方単位での共進会が、各府県の持ち回りで開催された。福岡をはじめ各開催都市では、開催を機に整備されたインフラも多く見られる。九州においては「九州沖縄八県連合共進会」(初回は「九州沖縄連合共進会」)が、1882(明治15)年から1921(大正10)年までの間に計14回行われており、福岡県では「第五回」と「第十三回」が行われた。

「第五回九州沖縄八県連合共進会」は1887(明治20)年に開催された。会場は岡新地(東中洲)で、それまでは畑が拡がっていたという。50日間の会期に84万人余りの来場者を集めた。図は開催に合わせて作成された『福岡・博多鳥瞰図』の一部で、奥が福岡、手前が博多、その間が中洲。図左の白い洋館が本部として建設された「共進館」で、のちに福岡市の議事堂としても使用された。その手前は博多初の煉瓦造りの西洋建築「福岡クラブ」で、この一画が共進会の会場であった。手前の川が「博多川」、奥は「那珂川」で、中央手前の橋が「東中島橋」、中央奥が「西中島橋」、その右に見える石垣は「福岡城」築城の際、福岡と博多の境に設置された「桝形門」の一部で、福岡市が誕生した1889(明治22)年までに撤去された。「共進館」の対岸が「福岡県庁」で、その左が「佐賀堀(肥前堀)」。「福岡クラブ」の右下の大きい建物が「九州大学 医学部」の前身「福岡医学校附属病院」。
MAP __(共進館跡地)【画像は1910(明治43)年】

「第十三回九州沖縄八県連合共進会」は1910(明治43)年の開催で、「福岡城」の「外堀」の一部であった「佐賀掘」を埋め立てて造成した3万8000坪もの広大な土地を会場とし、60日間の会期に91万人余りの来場者を集めた。写真奥が「第十三回九州沖縄八県連合共進会」の「本館」。市内の路面電車の敷設、道路(現「明治通り」など)の拡幅・建設、「博多駅」の建て替え、福岡初の洋式ホテル「抱洋閣」の建設などが開催に間に合うように進められ、官民で力を合わせて大きく街を発展させた。
MAP __【画像は1910(明治43)年】

閉幕ののち、会場跡(つまり「佐賀掘」の埋め立て地)のうち、東側には「福岡市役所」の新庁舎、「福岡県庁」の別館などが建設された。西側は現在「福岡駅」や天神の商業地の一部となっている。写真は「第十三回九州沖縄八県連合共進会」の本館があった場所の現在の様子。右が「福岡市役所」になる。

「福岡県公会堂」は「第十三回九州沖縄八県連合共進会」に合わせて建設された木造2階建の洋風建築で、会期中は「来賓接待所」として使用された。戦後は「福岡高等裁判所」などに転用され、1956(昭和31)年から1981(昭和56)年までは「福岡県教育庁舎」として使用された。その後、「福岡県庁」の移転に伴ない一帯は「天神中央公園」の一部となり、この建物は建設当初の位置のまま、公園内に保存されることになった。1984(昭和59)年に「旧福岡県公会堂貴賓館」として国の重要文化財に指定されている。
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「須崎裏」と「西公園下」で行われた「福岡工業博覧会」

1920(大正9)年、「福岡工業博覧会」が開催され、62日間の会期に約91万人の来場者を集めた。会場は2つに分かれ、「第一会場」が「須崎裏」の「福岡監獄」跡地の2万坪(現「須崎公園」付近)、「第二会場」が「西公園下」の「福岡築港埋立地」の1万坪で、両会場は渡船で結ばれていた。
MAP __(第一会場跡地)MAP __(第二会場跡地)【画像は大正期】

「東亜勧業博覧会」の跡地は「大濠公園」へ MAP __

1927(昭和2)年、「大濠」の西側一帯で開催された「東亜勧業博覧会」は、60日間の会期に160万人以上の来場者を集めた。当時の福岡市の人口は約15万人で、人口の10倍以上の人が訪れた計算になる。「東亜勧業」のテーマは、「第一次世界大戦」後の不況を背景に、国内からアジアに視野を広げることで産業や経済の振興を目指した時代の流れを反映したものであった。図は「東亜勧業博覧会」開催時の鳥瞰図。【画像は1927(昭和2)年】

写真は「東亜勧業博覧会」の正門。「大濠」は「福岡城」の「外堀」の一部で、大正期から公園化の議論があった。その後、「東亜勧業博覧会」の会場造成に合わせ造園されることになり、博覧会閉会後の1929(昭和4)年、「大濠公園」が開園した。【画像は1927(昭和2)年】

写真は「東亜勧業博覧会」の正門跡地付近の現在の様子。

築港工事の埋立地で開催された「博多築港記念大博覧会」 MAP __

1936(昭和11)年、「博多築港修築第一期工事」が完成するにあたり、記念する「博多築港記念大博覧会」が開かれ、約50日の会期で約161万人の来場者を集めた。会場は築港工事の一環で造成された7万5,000坪の埋立地で、パビリオンの中には「国防館」や「軍需工業館」など、国策に沿った展示もあった。【画像は1936(昭和11)年】

「博多築港記念大博覧会」が開催された1936(昭和11)年は、「中国大陸」や「朝鮮半島」に地理的に近い福岡・博多の重要性が増していた時期でもあり、この年に空の玄関として「雁ノ巣飛行場」も開場した。写真は現在の「舞鶴小学校前交差点」で、かつての「博多築港記念大博覧会」の会場の中心はこの付近であった。


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