「勝専寺」は、1260(文応元)年創建と伝わる「浄土宗」の寺院。1327(嘉暦2)年に「入間川」(のちの「荒川」、現「隅田川」)で引き揚げられたといわれる千手観音立像が祀られている。高さ23.8㎝の小さな仏像で制作年代は不明だが、千住の地名の由来になったともいわれる。江戸時代に「日光街道」が整備されると、徳川家の御殿が造営されるなど、将軍家ゆかりの寺院となった。朱塗りの山門は幕府に許可された特別なもので、「赤門寺」とも呼ばれている。写真は1910(明治43)年頃の「勝専寺」。
1624(寛永元)年、江戸から日光へ向かう「日光街道」の整備が始められ、翌年に「千住宿」が宿場町として建設された。交通量が増大すると人口も増加。米や野菜、魚などを取り扱う市場も形成され商業が盛んになっていくとともに、文化の集積地としても発展した。