「東海道」は、1601(慶長6)年に徳川家康により整備された、江戸と京都を結ぶ街道で、当初は、現在の港区芝四丁目あたりが起点だった。1603(慶長8)年に「日本橋」が架橋、翌1604(慶長9)年に「東海道」が延伸され、「日本橋」が起点となった。その後、1636(寛永13)年頃に「日光道中」、1646(正保3)年に「奥州道中」、1694(元禄7)年に「中山道」、1772(明和9)年に「甲州道中」と、「五街道」が整備され、「日本橋」は、それぞれの街道の起点となった。「五街道」は、大名の「参勤交代」をはじめ、商人や旅人などに利用された、人や物、文化が行き交う主要な街道であり、「日本橋」は、その中心地であった。図は歌川広重が描いた『東海道五拾三次 日本橋・朝之景』で、「日本橋」の南側から北方向を描いている。日本橋の朝は早く、朝4時に木戸が開かれ、「魚河岸」が賑わいを見せた。左下には対岸の「魚河岸」で魚を仕入れたあとに天秤棒で運ぶ人、その後には、幕府のお触れを掲示する高札場(こうさつば)、中央に「日本橋」を渡る大名行列が描かれている。MAP __(高札場跡)
1876(明治9)年、太政官布告により「国道」という言葉が初めて使用され、全ての国道は、江戸期の「五街道」の考え方を受け継ぐ形で「日本橋」が起点とされ、1911(明治44)年の現在の「日本橋」の架橋時には、橋の中央に市電(のちの都電)の架線柱も兼ねた「東京市道路元標」が設置された。1920(大正9)年に施行された旧「道路法」でも、ほとんどの国道は「日本橋」(「東京市道路元標」の場所)を起点とされた。戦後の1952(昭和27)年、現「道路法」が施行されるが、「日本橋」は引き続き「国道1号」「国道4号」「国道6号」など7本の主要国道の起点となり現在に至っている。都電の架線柱でもあった「東京市道路元標」は、この区間の都電廃止の翌年、1972(昭和47)年の道路改修の際に移設され、代わりに「日本国道路元標」が設置された。写真は橋際に移設・保存された「東京市道路元標」(写真中央の柱)と、現在、橋の中央に設置されている「日本国道路元標」の複製(写真中央下部)。MAP __(日本国道路元標)MAP __(東京市道路元標の保存場所)