写真は千住橋戸町付近に築かれた「カミソリ堤防」。【画像は昭和戦後期】
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写真は同地点付近の現在の様子。写真左手が「足立市場」、奥の橋はJR常磐線などの鉄道橋で、川沿いには「隅田川テラス」の整備が進められている。
千住は「隅田川」と街道が交わる地であることから、工業や商業が発展したが、一方で水害の被害に遭うことも多かった。特に1910(明治43)年に東日本一帯を襲った「明治43年の大水害」では大きな被害を受けた。また、大正期以降、工業化が進むと地下水のくみ上げによる地盤沈下も起こり、洪水・高潮による水害の危険性も増したため、「隅田川」の堤防の整備・増強が進められた。「伊勢湾台風」後、「東京高潮対策事業」により、さらなる堤防のかさ上げが行われることになり、1963(昭和38)年に着工、1975(昭和50)年度に概成した。堤防の計画高はA.P.+6.3m(「A.P.」は「荒川」(現「隅田川」)の干潮時の基準の水面の高さ)となっており、水面より4~6mもの高さの堤防が直立する様子から「カミソリ堤防」とも呼ばれた。
写真は2017(平成29)年に全面開放された「隅田川千住大橋地区」の「千住隅田川テラス」。地区の再開発と「スーパー堤防」の造成に合わせて整備されたもので、「カミソリ堤防」の一部が「隅田川旧防潮堤」(写真右)として保存・展示されている。写真左では傾斜の緩やかな「スーパー堤防」の堤内側の造成が行われている。
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1980(昭和55)年、計画高はそのままに、陸地側の堤防の盛土を緩やかに増強した「緩傾斜型堤防」の整備が開始され、1985(昭和60)年に「スーパー堤防」の整備へと発展した。「スーパー堤防」は、旧来の堤防と一体となって治水を担うもので、その造成は、地域の区画整理や再開発、団地・工場などの建て替えや跡地利用などと併せて行われるため、街づくりとの関係も深い。耐震性が強化されるほか、増水時に破堤しにくい、越水時に水流の勢いが緩やかになる、大規模な平坦な広場・公園が生まれるなど、地域の治水・防災上の利点があるほか、堤防上から河川の眺望が開ける、川沿いに整備されたテラスと堤防上が一体的に利用できるなど、親水的な機能も併せ持っている。