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戦後の発展

出版業が盛んな四谷・牛込には、戦後になるとラジオ・テレビの放送局も誕生、情報の発信地としてさらに発展した。明治期以降に多く立地するようになった学校や病院は、戦後も新設・建替えがあり、現在も教育や医療の充実した地となっている。


「河田町会館」と「フジテレビ」 MAP __

現在の河田町一帯は、江戸期には大名の下屋敷などが置かれていた。広瀬藩松平家の下屋敷だったところは、明治期に尾張徳川家最後の藩主、徳川慶勝の十一男である男爵、徳川義恕(よしくみ)氏の屋敷となっていた。この屋敷は終戦後の1946(昭和21)年にホテル「河田町会館」(写真)となり、その後一時期「英連邦占領軍」に接収、司令官邸とされたが、1952(昭和27)年に返還され、営業を再開した。【画像は昭和20年代】

図は昭和20年代の「河田町会館」の案内。「見晴絶好閑静優雅」「大広間浴室完備」「結婚宴会会議場」との記載がある。【図は昭和20年代】

昭和20年代の「河田町会館」。庭園や眺望の良さでも知られていた。【画像は昭和20年代】

「河田町会館」があった場所には「フジテレビジョン」(以下「フジテレビ」)のスタジオが建設され、1959(昭和34)年に開局した。写真は開局当初の様子。「フジテレビ」はラジオ局の「文化放送」と「ニッポン放送」がテレビ放送に参入するために共同で設立した放送局で、開局当時の本社は有楽町の「ニッポン放送」本社ビル内に置かれた。1962(昭和37)年に本社も河田町に移転し、1969(昭和44)年には開局10周年を記念して地上13階建ての新館も完成させている。【画像は1959(昭和34)年】

1997(平成9)年、「フジテレビ」は港区台場へ移転。跡地は同年に「住宅・都市整備公団」(現「UR都市機構」)が取得し開発が行われ、2003(平成15)年、41階建ての超高層棟の賃貸マンションなどからなる「河田町コンフォガーデン」が完成。2017(平成29)年に民間会社に売却され「河田町ガーデン」に改称となり現在に至る。

「東京厚生年金病院」の開院 MAP __

「東京厚生年金病院」は1952(昭和27)年、「飯田橋駅」のそばとなる新宿区津久戸町に開院した。Y字型の特徴的な建物は山田守氏の設計によるもの。戦前期には「東京中央電信局」などの逓信建築や、「聖橋」をはじめとする震災復興橋のデザインなど、「逓信省」「復興局」による公共の建造物を数多く手がけた建築家で、「東京厚生年金病院」は戦後、独立して最初の作品であった。【画像は1950年代】

Y字型の建物は、1987(昭和62)年~1998(平成10)年にかけて順次解体され、現在の建物が建設された。2014(平成26)年からは「独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)」の病院、「東京新宿メディカルセンター」となっている。

カトリックの布教を目的として計画されたラジオ局 MAP __

1948(昭和23)年、カトリックの「聖パウロ修道会」は布教を目的とするラジオ局を計画し、「財団法人セントポール放送協会」を設立。翌年、新宿区若葉一丁目に局舎と修道院を兼ねる「セントポール・ラジオ・センター」が着工となり、翌1950(昭和25)年に竣工した。しかし、「電波監理委員会」が開局に難色を示したため、翌年、宗教色を薄めた形で「財団法人日本文化放送協会」へ改称、1952(昭和27)年に本放送が開始となった。写真は1950年代の撮影。1956(昭和31)年には「旺文社」「小学館」などの出版社をはじめとする財界の出資による「株式会社文化放送」となった。同年には「日本フィルハーモニー交響楽団」が専属のオーケストラとして結成されている。【画像は1950年代】

若葉一丁目にあった局舎は、2006(平成18)年に港区浜松町へ移転、跡地はマンションとなっているが、現在も非常用の予備送信施設が設置されている。マンションの前には「文化放送発祥の地」の碑が建てられている。

木造平屋建ての住宅地だった「戸山ハイツ」 MAP __

「太平洋戦争」終戦後の復興期、住宅の不足が深刻な問題となった。1948(昭和23)年、「陸軍戸山学校」の跡地に約1,000戸からなる木造平屋建ての都営住宅「戸山ハイツ」が計画され、翌1949(昭和24)年に完成した。写真は1960(昭和35)年頃の「箱根山」から新宿方向を望んだ様子で、中央に広がる建物が「戸山ハイツ」。左の建物が「戸山教会」、中央奥の建物が「新宿区立東戸山小学校」。「東戸山小学校」は「戸山ハイツ」完成と同じ年に開校している。【画像は1960(昭和35)年頃】

「戸山ハイツ」の建替えは1968(昭和43)年に開始され1976(昭和51)年に完了、約3,000戸からなる中高層の「都営戸山ハイツアパート」となった。「東戸山小学校」は1972(昭和47)年に旧写真中央の「戸山ハイツ」の建物が広がっていたあたりに移転、旧校舎があった場所にはアパートが建てられている。写真は現在の同地点付近からの様子。右上の木の間から見える建物が、かつて「東戸山小学校」があった場所に建てられた「都営戸山ハイツアパート」の一部。その奥に見える高層の建物群は西新宿の「新宿アイランド」など。


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