日本における墨の製造法は610(推古天皇18)年、朝鮮半島の高麗(こま)の僧、曇徴(どんちょう)が伝え、「正倉院」には現存する最古の墨が保存されている。「奈良墨」は室町時代に「興福寺」で製造が始まったとされ、「南都油煙墨」として日本中に広まった。江戸時代、奈良には30~40軒の墨屋が存在した。「玄林堂」は1717(享保2)年、墨屋又四郎により創業している。1987(昭和62)年に取り壊されるまで奈良市高天町に店を構えていた。
奈良には製墨などの産業が生まれ、伝統が受け継がれている。「三条通り」周辺では産業・商業が発展し、現在は複数の商店街により商業の中心地として栄えている。