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文化における和洋の融合

「平城京」からの歴史をもつ奈良は、美術品、文化財の宝庫でもある。特に、「正倉院」が所蔵してきた宝物は、博覧会で人気となり、「帝国奈良博物館」創設のきっかけとなった。また奈良における女子教育の拠点「奈良女子高等師範学校」が開校、キリスト教の「奈良基督教会」が誕生するなど、和洋の文化が融合し、近代化が進んだ。


シルクロード伝来の宝物を納めた「正倉院」 MAP __

「正倉院」は、奈良・平安時代の重要物品を納めた「東大寺」の正倉である。檜造り、単層、寄棟本瓦葺き、高床式の宝庫で、759(天平宝字3)年までには建立されていたとされる。聖武天皇・光明皇后遺愛の品をはじめとする国内外の宝物が納められ、シルクロード伝来の品も多いなど、ほかに例を見ない宝庫であった。宝物の一部は、1875(明治8)年から1894(明治27)年まで続いた「奈良博覧会」で公開された。1875(明治8)年からは国の管轄下となっている。【画像は大正期】

建物は、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。また、毎年秋に「奈良国立博物館」で「正倉院展」が開催されている。

日本で2番目に開館した国立博物館 MAP __

1875(明治8)年、「東大寺」周辺で「正倉院」の宝物や寺社、個人の所有する古美術を展観する「奈良博覧会」が開催された。その人気を受け、1895(明治28)年に、東京に次ぐ日本で2番目の国立博物館「帝国奈良博物館」が開館した。本館は、建築家の片山東熊氏の設計による明治の洋風建築の代表作。その後、「奈良帝室博物館」となった。【画像は明治後期】

現在は「独立行政法人国立文化財機構 奈良国立博物館」の「なら仏像館」となっており、建物は国の重要文化財となっている。

女子教育の名門「奈良女子高等師範学校」 MAP __

「奈良女子高等師範学校」は1909(明治42)年に開校した。西洋建築形式が取り入れられた本館(現「奈良女子大学記念館」)はこの時の竣工。1911(明治44)年には小学校、高等女学校が開校され、翌年には幼稚園が開設された。1949(昭和24)年に「奈良女子大学」となり、女子の名門校としての教育研究活動を行っている。【画像は明治後期】

「奈良女子大学記念館」、守衛室、正門は現存し、国の重要文化財に指定されている。

近代和風建築のキリスト教会 MAP __

1887(明治20)年、花芝町に「日本聖公会奈良基督教会」が開かれた。その後「興福寺」の境内に隣接する登大路町に移転。1930(昭和5)年に周囲の景観に配慮して、和風の礼拝堂と信徒会館が建築された。設計施工は同教会の信徒で宮大工の大木吉太郎氏が行った。【画像は1930(昭和5)年】

礼拝堂と信徒会館(現「親愛幼稚園舎」)は、古社寺の伝統的な要素を駆使した昭和初期の近代和風建築の教会堂として、2015(平成27)年に国の重要文化財に指定された。

写真は1930(昭和5)年の「日本聖公会奈良基督教会」。中央奥に「興福寺」の「三重塔」が見える。【画像は1930(昭和5)年】

現在の「日本聖公会奈良基督教会」。木の陰になってわかりにくいが、中央奥に「興福寺」の「三重塔」の一部が見える。


奈良を愛した文人・芸術家たち

「志賀直哉旧居」

「志賀直哉旧居」 MAP __

現在は「学校法人奈良学園」セミナーハウス

現在は「学校法人奈良学園」セミナーハウス

いにしえの都、奈良を愛した文人や芸術家は数多い。

作家の志賀直哉氏は、千葉、京都などに住んだ後、1925(大正14)年から1938(昭和13)年に東京に移るまでの13年間を奈良の地で過ごした。志賀氏は幸町の借家で暮らした後、上高畑町に移り住んだ。1929(昭和4)年、志賀氏自らが設計して完成した新居は、モダンな食堂・娯楽室、サンルーム、庭園などを備え、ここで『暗夜行路』『痴情』『プラトニック・ラヴ』などの作品を残し、のちに随筆『奈良』を書きあげた。また、武者小路実篤氏、谷崎潤一郎氏、小林秀雄氏、亀井勝一郎氏、入江泰吉氏、上司海雲氏らが集まったことで、白樺派の文人・芸術家のサロンのような場所となり、「高畑サロン」と呼ばれた。志賀氏が東京に移った後は民間に売却され、「太平洋戦争」後は「アメリカ軍」に接収された。その後、「厚生省」が宿泊所として使用。1978(昭和53)年に「学校法人奈良学園」の所有となり、セミナーハウスとして使われている。また一部が公開されており、志賀氏が過ごした建物の内部を見ることができる。

哲学者の和辻哲郎氏は1918(大正7)年に奈良とその周辺の寺々をめぐり、歴史ある建築や仏像などの古美術を目にした感動を、瑞々しい感性で情熱的に書き留めた『古寺巡礼』を発表した。作家・詩人の堀辰雄氏は何度も奈良を訪れ『大和路・信濃路』を残している。奈良に生まれ、故郷の風景を撮り続けた写真家・入江泰吉氏は生前、全作品を奈良市へ寄贈、1992(平成4)年に「奈良市写真美術館」(現「入江泰吉記念奈良市写真美術館」)が開館となった。

芸術家により残された作品は、奈良の素晴らしさを後世に伝えている。



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