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神の使い 鹿は奈良の象徴

「春日大社」の鹿は神の使いであり、その姿を視覚化した『春日鹿曼荼羅』は奈良の地と鹿の繋がりを物語っている。現在も街中に暮らす野生の鹿は、住民に守られ共生してきたことにより、鹿は市民にとって特別な存在となっている。


奈良に降り立った神鹿

『春日曼荼羅』は平安時代から江戸時代にかけて、神仏習合の影響を受け描かれたもので、「春日大社」の鳥瞰図を描いた『宮曼荼羅』、「興福寺」とともに描かれた『社寺曼荼羅』などがある。その一種である『鹿曼荼羅』は「武甕槌命」が常陸(現・茨城県)の鹿島から「御蓋山」に降り立ったという伝説に基づき、春日の神鹿(しんろく)が榊の枝を鞍上に乗せている様子が描かれた図のことで、多くの『鹿曼荼羅』が存在する。画像の『春日鹿曼荼羅』は「奈良国立博物館」が所蔵する14世紀に描かれたもの。上部に「御蓋山」と「若草山」が描かれている。下部には「一之鳥居」と参道、遊ぶ鹿が描かれ写実的な要素がみられるのが特徴である。【図は鎌倉時代】

鹿は人々の手で守られてきた MAP __

奈良の鹿は神使とされることから古くより奈良の人々に保護されており、「春日大社」付近で自然繁殖してきた。室町時代以降には鹿を殺した者は死罪となった。上方落語『鹿政談』では、誤って鹿を殺した夫婦の死罪を「奈良奉行」が助ける物語が描かれている。「明治維新」前後や昭和戦後の一時期、病気や密猟で数が激減したことがあったが、保護地域を定めるなどして守られてきた。【画像は大正期】

現在は「奈良公園」周辺に1,000頭ほどの野生の鹿が生息している。

江戸時代から親しまれた「鹿せんべい」 MAP __

「鹿せんべい」の起源は不明だが、一説には江戸時代には既に売られていたとされる。1791(寛政3)年に出版された『大和名所図会』内では、春日の茶店で鹿にせんべいらしき餌を客が与える様子が描かれている。1912(明治45)年より、「鹿せんべい」は、奈良県令で証紙をつけたもののみが販売できるようになり、証紙の売り上げの一部が鹿の保護に充てられるようになった。【図は江戸後期】

現在「鹿せんべい」は「一般財団法人奈良の鹿愛護会」の登録商標となっている。鹿に餌を与えることは禁止されているが、「奈良公園」周辺で売られている「鹿せんべい」だけは例外。

「奈良奉行」の手で始まった風物詩「鹿の角きり」 MAP __

「鹿の角きり」は、1672(寛文12)年に「奈良奉行」の溝口信勝が「興福寺」の許可を得て始めたとされる。発情期を迎え、気が荒くなった牡鹿たちが、角で人に危害を与えたり、鹿同士が傷つけ合ったりすることを防ぐことが目的だった。当初は町の所々で行われていたが、1929(昭和4)年から「春日大社」境内にある「鹿苑(ろくえん)角きり場」で年中行事として実施されはじめた。その後、中断した時期もあったが、1953(昭和28)年に復活し、人気を集める観光行事となった。【画像は大正期】

「鹿の角きり」は秋の風物詩として、毎年10月上旬の3日間、「春日大社」の「鹿苑角きり場」で行われる。3頭ずつ牡鹿を追い込んで捕獲し、神官役がノコギリで角を切り、神前に供える。


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