「生國魂神社」は、第一代神武天皇が東征に際して、「上町台地」の最北端の地、「石山崎」に日本国土の御神霊である「八十島神(やそしまがみ)」である「生島神」と「足島神」を祀ったのが始まりとされる。その後、羽柴(豊臣)秀吉による「大坂城」の築城により、現在の場所(天王寺区生玉町)に移った。写真は昭和戦前期の「生國魂神社」の拝殿。江戸時代からの社殿は、1912(明治45)年の「南の大火」で焼失、写真の社殿は1913(大正2)年に再建された。
「上町台地」は「大阪平野」の中央部に位置し、北は現在の「大阪城」付近、南は住吉、清水丘付近まで南北約9kmにわたって続いている。日本国土の御神霊である「生島島(いくしまのかみ)」と「足島神(たるしまのかみ)」を祀った「生國魂(いくくにたま)神社」があり、神話にも登場する歴史ある地だった。6世紀末には聖徳太子が「四天王寺」を建立した。また、戦国時代には、羽柴(豊臣)秀吉が「大坂城」を築き、商業・経済が発展し、「四天王寺」の北側には寺町が形成された。近代に入ると、大阪でいち早く住宅地開発が行われたほか、多くの学校が立地するようになり、現在、「上町台地」の南側一帯は高級住宅地や文教エリアが広がる閑静な住宅街となっている。