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四天王寺に今も生きる聖徳太子の理念

天王寺の地名の由来となったのが聖徳太子建立の「四天王寺」で、その歴史は6世紀末にさかのぼる。この寺は単なる寺院ではなく、「四天王寺七宮」という外護の神社群と、「四箇院(しかいん)」と呼ばれる施設を備えていた。「四箇院」は仏法修行の道場である「敬田院(きょうでんいん )」、病者に薬を施す「施薬院(せやくいん)」、病者を収容し、病気を癒す「療病院(りょうびょういん)」、身寄りのないものや年老いたものを収容する「悲田院(ひでんいん)」の四つで構成され、その精神は現在にも引き継がれている。


聖徳太子が建立、天王寺の地名の由来 MAP 8

593(推古天皇元)年の創建で、聖徳太子が建立した七大寺の一つ。天王寺の地名は、この寺から生まれた。聖徳太子の事績や「四天王寺」の縁起等が記された書『四天王寺縁起』が伝えられ、国宝に指定されている。境内は「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれる独特の配置で、「西方浄土の入口に通じる」という信仰から、西門の石鳥居には多くの信者が集まる。【画像は明治後期】

白壁と朱塗りの柱に囲まれた回廊が続く「四天王寺」の境内。1959(昭和34)年再建の五重塔は昔も今も、天王寺のランドマークとなっている。 ※2018(平成30)年まで耐震工事中のため、掲載画像は2009(平成21)年撮影のもの。

「敬田院」は、「四天王寺学園」に継承 MAP 9

1922(大正11)年、「聖徳太子1300年御忌記念事業」として、「天王寺高等女学校」が開校、1928(昭和3)年に現在地(境内)に移転し、戦後に「四天王寺高等学校・中学校」となった。聖徳太子による「四箇院」の一つ「敬田院」は寺院そのものであり、人々が仏に帰依し、戒律を守って諸悪をなさず、善行を修め、仏の智慧を悟るところであり、「四天王寺学園」にはこの「敬田院」の精神が受け継がれている。【画像は昭和戦前期】

「四天王寺高等学校・中学校」は「敬田院」精神を受け継ぐ女子校。高等学校では、内部進学生と外部進学生は3年間別々にクラスを編成し、親身かつ細やかな指導を行っている。

「施薬院」、「療病院」の精神は、「四天王寺施薬療病院」に MAP 10

聖徳太子が開いた「施薬院」、「療病院」の精神を継承する施設として、1933(昭和8)年、「四天王寺」の南西側に「四天王寺施薬療病院」が設立された。1948(昭和23)年には「四天王寺病院」に名称を変更している。【画像は昭和戦前期】

現在は、地上7階、地下1階建ての建物となっている「四天王寺病院」。運営元である「社会福祉法人 四天王寺福祉事業団」は養護老人ホームなど、福祉施設を運営し、「悲田院」、「施薬院」、「療病院」の精神を今に伝えている。

「勝鬘院」は、「施薬院」があった場所に MAP 11 MAP 12(大江神社)

「四天王寺」別院の「勝鬘院(しょうまんいん)」は「谷町筋」を挟んだ「四天王寺」の北西にある。この地は聖徳太子が開いた「四箇院」の一つ、「施薬院」が建立された場所。太子が人々に講じた「勝鬘経」から、「勝鬘院」の名がついた。金堂には愛染明王が祀られ、「愛染堂(あいぜんどう)」という名でも知られている。【 画像は1936(昭和11)年】

地元の人々からは、「愛染堂」「愛染さん」として親しまれている「勝鬘院」。隣接して「四天王寺七宮」の一つ、「大江神社」がある。


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