このまちアーカイブス INDEX

学校と研究機関、スポーツ施設の誕生

高槻周辺では、昭和初期になると「京都帝国大学」(現「京都大学」)による「摂津農場」と「阿武山観測所」の開設、「大阪高等医学専門学校」(現「大阪医科薬科大学」)による新校舎の建設など、学校・研究機関の立地も見られるようになった。


1930(昭和5)年、「大阪高等医学専門学校」が高槻に移転 MAP __

1927(昭和2)年、日本最初の5年制医学専門学校として、大阪市東淀川区下新庄に「大阪高等医学専門学校」が設立され、2年後の1929(昭和4)年には「附属看護婦学校」も開校した。当初は仮校舎で授業を行い、1930(昭和5)年に高槻町(現・高槻市)に本校舎が竣工、このときに附属病院も加わった。写真は高槻校舎の様子。戦後の1946(昭和21)年に「大阪医科大学」となった。【画像は昭和初期】

本部キャンパスのある一帯は「大学町」という地名になっている。2006(平成18)年には、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の別館に「歴史資料館」が設けられた。「大阪医科大学」は2021(令和3)年に「大阪薬科大学」と合併し「大阪医科薬科大学」となっている。

「京都帝国大学」の農場・研究所が高槻に誕生

「京都帝国大学」は1928(昭和3)年、三島郡磐手村(現・高槻市八丁畷町)に農学部附属の「摂津農場」を設けた。農場建設の際、「安満(あま)遺跡」が発見され、弥生時代の土器や石器が多数出土した。空中写真は1942(昭和17)年の撮影で、当時の「摂津農場」の範囲などを追記している。【画像は1942(昭和17)年】

農場は、2009(平成21)年に移転が決定、2011(平成23)年には、農場内の一部約6.4haが国の史跡「安満遺跡」に追加指定された。2016(平成28)年に農場は廃止され、2018(平成30)年に史跡公園の整備着手、2021(令和3)年に「安満遺跡公園」が全面開園となった。写真左の建物は「京都大学附属農場本館」をリノベーションしたレストラン。「安満遺跡」では「環濠」も発掘されている。公園では、濠の部分を白い石で、土手の部分を人工芝で示しており、当時の集落の規模も体感できる。 MAP __

1930(昭和5)年、「京都帝国大学」は「北摂山地」の南端に「阿武山地震観測所」を設置、1933(昭和8)年に完成。約3万坪の敷地は、地元から300年間の契約で借用しているという。現在は「京都大学防災研究所附属地震予知研究センター」の「阿武山観測所」となっており、「サイエンスミュージアム」として見学会なども行われている。創設当時からの建物は、近代化遺産としても注目されている。 MAP __

日本初となる学校プールが作られた「大阪府茨木中学校」 MAP __

旧制「大阪府茨木中学校」は、1895(明治28)年に「大阪府第四尋常中学校」として創立、仮校舎は「総持寺」内に置かれた。1897(明治30)年、現在地に校舎が竣工し移転、1899(明治32)年に「大阪府第四中学校」、1901(明治34)年に「大阪府茨木中学校」へ改称された。

1913(大正2)年に「茨木川」の水を利用した水泳池の工事に着手し2年後に完成、翌1916(大正5)年に水泳池を改修して、日本初となる学校プール(写真手前)が開設された。戦前期には、このプールからオリンピックなど国際大会へ出場する選手も輩出された。1912(明治45)年に入学、1917(大正6)年に卒業した川端康成は、在学中に執筆活動を始めている。【画像は大正期】

現在は大阪府内有数の進学校として知られる「大阪府立茨木高等学校」となっている。1985(昭和60)年には、敷地内に「日本近代水泳発祥之地」の記念碑が建立された。写真は現在の「大阪府立茨木高等学校」の正門。左に見える大きな建物は、1995(平成7)年に創立100周年を記念して建設された屋内プール。1997(平成9)年の「なみはや国体」では水球競技の会場としても使用された。

1923(大正12)年創設の名門ゴルフ場「茨木カンツリー倶楽部」 MAP __

1922(大正11)年、広岡久右衛門、加賀正太郎を中心に「大阪初のゴルフ場」の建設計画が進められ、翌年「社団法人茨木カンツリー倶楽部」の設立が認可。「住友本社」総理事の湯川寛吉が初代理事長となった。スコットランド出身のプロゴルファー、ダビット・フードがコースを設計し、1924(大正13)年に工事着工。1926(大正15)年には「関西プロフェッショナル争覇戦」(現「日本プロゴルフ選手権大会」)が開催された。現在も名門ゴルフ場として知られる。【画像は昭和戦前期】


次のページ 高槻と茨木の発展


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る