池田、伊丹と並ぶ「北摂三銘酒」の里としても知られる「富田(とんだ)郷」。この地の歴史は、室町時代から一向宗の「富田道場」を中心に寺内町が形成されたことに始まる。酒造りに適した条件が揃い、盛んに酒造業が行われ、最盛期には24の造り酒屋が存在したという。
1689(元禄2)年に刊行された貝原益軒の『南遊紀行』には「富田。道ばたにはあらず。道の東二十町計に有。町広し。茨木より狭し。酒家多し。紅屋とて大百姓あり。其宅瓦屋甍を並べ作り重て大なること山の如し。目を驚かす。未だかかる大農を見ず」とも記されている。ここに登場する「紅屋」は「関ケ原の戦い」の際、徳川家に協力した功績により、特権的な酒造株が認められたともいわれる。1695(元禄8)年刊行の『本朝食鑑』には、「和州南都造酒第一而、摂津伊丹、鴻池、池田、富田次之」と書かれており、富田の酒が名声を得ていたことが分かる。また、松尾芭蕉の弟子、宝井其角(たからいきかく)は「けさたんと のめやあやめの とんたさけ」という回文俳句を残している。
現在も、1822(文政5)年創業で「國乃長」の銘柄を誇る「寿酒造」と、1856(安政3)年創業の「清鶴」ブランドで知られる「清鶴酒造」の老舗二軒が、酒づくりを続けており、富田の酒の伝統を守っている。
写真の「清鶴酒造」の軒先にかかるのは「杉玉」。新酒の時期に吊るされ、緑から茶へと色が変化し、酒の熟成具合も伝えているという。