高槻・茨木の一部の山村では、江戸後期から農閑期の産業として、寒天の製造が盛んに行われた。原料の入手や製品の運搬に便利な「淀川」に近い「西国街道」沿いの村々が生産の中心となっていた。寒天の製造工程は晒場・天場・棚場の三つに大きく分かれ、9月後半から作業が開始、完成した寒天の一部は、長崎を通じて海外にも輸出されていた。【画像は1963(昭和38)年】
高槻・茨木の村々では、農閑期の産業として寒天が製造され、特産品となっていた。江戸時代には、寒天は長崎を経由して海外にも輸出していた。また「北摂三銘酒」の一つとして知られる「富田の酒」は、現在も老舗により伝統が守られている。