写真は「芥川」沿いにあった「大日本セロファン 高槻工場」。戦前の1935(昭和10)年に「昭和透明紙 高槻工場」としてこの地に進出、戦後は国内最大手の商品包装用セロファンメーカーとなったが、昭和40年前後から赤字となり1968(昭和43)年に倒産。現在跡地には「コニカミノルタ 高槻サイト」「東レフィルム加工」などがある。
MAP __【画像は1956(昭和31)年】
戦後、高槻・茨木には、さらに多くの工場が進出することとなる。1952(昭和27)年に誕生した「松下電子工業」(現「パナソニック」)の「高槻工場」は、1954(昭和29)年に第一期工事が完成。世界有数の新鋭設備を持つ工場であった。 MAP __
この北側には、1955(昭和30)年に「明治製菓」(現「明治」)が「大阪工場」を建設。現在、この工場ではチョコレートの製造が行われている。
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また、茨木市には、1958(昭和33)年に「松下電器産業」(現「パナソニック」)の「茨木工場」が完成。テレビ製造の拠点となり、「テレビ事業発祥の地」として知られる。現在は工場としての役割を終え、2017(平成29)年に「ヤマトグループ」の総合物流ターミナル「関西ゲートウェイ」が誕生している。 MAP __
1956(昭和31)年には「日本専売公社」(現「JT」)の最新設備を備えた「茨木工場」が完成した。全工場の最高生産高を記録したが、1982(昭和57)年に操業を終え、現在は「イオンモール茨木」となっている。 MAP __
1961(昭和36)年には、東海道本線を挟み「日本麦酒」(現「サッポロビール」)の「大阪工場」も完成。当時の最新鋭の設備が導入された。こちらも現在は操業を終え、「立命館大学」の「大阪いばらきキャンパス」が誕生している。 MAP __
茨木市内に町名が残る「太田東芝町」は、かつて「東京芝浦電気」(現「東芝」)が「大阪工場」を置いていた。電気冷蔵庫の専門工場として、1961(昭和36)年に完成した。1970(昭和45)年には第二工場が完成。「東芝」の主力工場として操業を行ってきたが、2008(平成20)年に閉鎖された。跡地では「茨木スマートコミュニティ構想」のもと、エネルギー供給施設・公園・住宅・商業・文教・医療・福祉など様々な機能を持った開発が行われており、2019(平成31)年には「追手門学院大学」の「茨木総持寺キャンパス」「追手門学院中学校・高等学校」が開設、2021(令和3)年には「イオンタウン茨木太田」が開業している。 MAP __