「多摩川」は、江戸期より鮎の産地として知られ、徳川将軍家にも献上されていた。二子玉川には明治後期には10数軒の料亭・旅館があり、「玉電」と提携して行楽客を誘致した。1927(昭和2)年には三業地に指定され繁華街として発展、1933(昭和8)年から1935(昭和10)年頃が最盛期だったといい、「太平洋戦争」が始まると廃れていった。写真は大正期から昭和初期撮影の料亭「柳屋」で、建物の前に鮎漁を楽しむための屋形船が見える。江戸末期の1831(天保2)年創業といわれる老舗で、徳川将軍が訪れ鮎漁を行ったともいわれる。
二子玉川は、江戸中期以降、「大山詣」で賑わった「大山道」が「多摩川」を渡る「二子の渡し」があった地で、周辺には茶屋、宿屋などが集まり賑わいを見せた。明治後期に「玉電」が開通すると、さらに料亭などが立地するようになり、「玉川遊園地」なども建設され、賑わう行楽地へと発展した。