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「井之頭恩賜公園」の開園と発展

「井之頭池」一帯は、江戸期は「神田上水」の水源であり、幕府の御用林となっていたが、「明治維新」後に東京府が買収、1889(明治22)年からは「帝室御料林」として「宮内省」(現「宮内庁」)の所有となった。東京市(当時の区部)は、明治末期、市街地の発達に伴い、市外となる郊外に大公園の建設を計画、水源として歴史的に関わりが深く、水がきれいで緑豊かな「井之頭池」一帯を候補地とした。1913(大正2)年、「東京市議会」は公園設置を議決、同年、「井之頭池」一帯の御料地が東京市へ下賜された。その後、東京市は「井之頭池」周辺を公園として整備、1917(大正6)年に「井之頭恩賜公園」を開園した。日本で最初の郊外型公園で、皇室の御料地の下賜(=恩賜)を受けた公園としても日本初であった。開園当時の公園の面積は28.5haで、うち4.5haは「井之頭池」が占めていた。


東京市が市外の公園として開設した「井之頭恩賜公園」

1920(大正10)年には公園内の「井之頭池」の東端付近、約1,800㎡の水域に天然の水泳場も開設された。写真は大正後期~昭和初期撮影の水泳場で、「井之頭池」の南岸から北西方面を望んでいる。
MAP __【画像は大正後期~昭和初期】

現在の同地点付近からの様子。過去写真の中央にあった橋は、昭和初期頃までに撤去されている。「井の頭恩賜公園」は、2017(平成29)年に開園100周年を迎えている。

写真は同じく大正後期~昭和初期撮影の水泳場。中央右の櫓は飛び込み台。左奥に「神田上水水門口」、右奥に小さいアーチの「ひょうたん橋」が見える。【画像は大正後期~昭和初期】

現在、過去写真の撮影地点付近からは木が生い茂っていたため、現在も残る「神田上水水門口」を反対側から撮影した。「井の頭恩賜公園」は、2001(平成13)年に西園内に「三鷹の森ジブリ美術館」が開館、2014(平成26)年には西園が拡張されるなど、現在も整備が進められており、現在の開園面積は約43haとなっている。
MAP __(神田上水水門口)

「井之頭恩賜公園」に誕生したプール MAP __

1933(昭和8)年には、「井之頭池」内の水泳場に代わって新たに長さ25m・幅15mのプールが新設された。写真は昭和戦前期のプールの様子。水は地下水が使われたため、非常に冷たかったという。【画像は昭和戦前期】

このプールは1983(昭和58)年に廃止、その後撤去された。現在跡地は日本庭園になっている。

動物園と「井之頭自然文化園」

1934(昭和9)年、「井之頭恩賜公園」内、「井之頭池」の「中之島」に、動物園が設けられた。開園当初、獣類14種、鳥類77種、魚類約20種が飼育されていた。
MAP __【画像は昭和戦前期】

当初の動物園があった場所は、現在は「井の頭自然文化園 水生物園」となっている。

1939(昭和14)年、「井之頭学校」(渋沢栄一が1905(明治38)年、この地に設立した養育院)が萩山(現・東村山市)へ移転すると、跡地に動物園を作る計画が進められた。当初は「上野動物園」に匹敵する規模で構想されたが、戦時体制下であったため規模が縮小され、「井之頭自然文化園」として1942(昭和17)年に開園した。写真は昭和10~20年代の「井之頭自然文化園 本園」。MAP __【画像は昭和10~20年代】

写真は現在の「井の頭自然文化園 本園」。

1949(昭和24)年、「太平洋戦争」後としては初めて日本にやってきたゾウ「はな子」は、当初、「上野動物園」で飼育されたのち、移動動物園で東京近郊を廻った。その後、武蔵野市民や三鷹市民の要望から、1954(昭和29)年に「井の頭自然文化園」に移された。写真は「井の頭自然文化園」にやってきた当時の「はな子」。【画像は1954(昭和29)年】

「はな子」は日本で飼育された最も長寿のゾウとなり、2016(平成28)年、69歳で亡くなるまで、「井の頭自然文化園」で飼育された。写真は現在、ゾウはいない「ゾウ舎」。「はな子」に関する資料や写真などが展示されている。
MAP __(ゾウ舎)

2017(平成29)年には、「吉祥寺駅前北口広場」に「ゾウのはな子」の銅像が設置された。
MAP __(銅像)

戦後の「井の頭恩賜公園」

1956(昭和31)年、「井の頭池」畔に「井の頭恩賜公園野外音楽堂」が完成した。高さ4.5mのシェル型の構造を持ち、舞台の広さは170㎡となっている。
MAP __【画像は1956(昭和31)年】

現在は「井の頭恩賜公園 野外ステージ」と呼ばれている。

写真は1957(昭和32)年頃の「井の頭恩賜公園」の桜とボート。ボート場は1929(昭和4)年に設けられており、戦前からの歴史がある。一方、桜の名所になったのは戦後であった。戦前の「井之頭恩賜公園」は、明治初期に東京府が植えた杉の水源涵養林で鬱蒼としていたというが、戦時中、棺桶用に多くの杉が伐採され、戦後、桜が多く植えられるようになったという。
MAP __【画像は1957(昭和32)年】

現在の「井の頭恩賜公園」。ボートを楽しむ人も多い。


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