戦時中の1944(昭和19)年、全国の都市で鉄道など重要施設への延焼を防ぐために建物疎開が行われ、「吉祥寺駅」の駅前の建物も取り壊された。このあたりは空襲の被害はなく、終戦後、この空地にはヤミ市が立つようになった。写真は1957年(昭和32)年の撮影。このヤミ市跡の路地沿いに小さな店がひしめく光景が、ハーモニカの吹き口に似ていることから、1962(昭和37)年頃に評論家の亀井勝一郎が「ハーモニカ横丁」と命名、その名が広まったともいわれる。
吉祥寺・武蔵野市内の昭和30・40年代の街並みと現在を比較すると、ビルの建設や道の拡幅、鉄道の高架化など大きな変化がみられる一方、昔からの面影を残すエリアや、歴史を引き継ぐ老舗も見られる。