明治後期頃からの増大する東京市の水道水の需要に応えるため、「東京市水道局」は大正初期より「第一水道拡張事業第1期工事」を行い、その中で1924(大正13)年に「境浄水場」が完成した。原水は、「多摩川」で取水し、「村山貯水池(多摩湖)」「山口貯水池(狭山湖)」での貯水を経て、トンネルの導水路「村山境線」を通り「境浄水場」に送られた。写真は1929(昭和4)年の撮影。「境浄水場」からは「和田堀給水所」まで、水道管が埋設された。
大正期以降の武蔵野は、東京の水道施設が建設されたり、学校が移転してくるなど、東京の大都市化とともに発展を見せた。1923(大正12)年の「関東大震災」では、「武蔵野台地」上の被害が少なかったこともあり、各種施設の移転や郊外住宅の開発による人口の増加などで発展が加速。武蔵野村は1928(昭和3)年に町制を施行し武蔵野町となった。