1869(明治2)年に浦和県、1871(明治4)年に埼玉県が誕生し、県庁が浦和に置かれると、行政・経済の中心地として大きな転換期を迎えた。隣接県と分離や合併を繰り返し、1876(明治9)年に現在の埼玉県の境域が確定。1886(明治19)年、1897(明治30)年、1903(明治36)年の三度にわたり県庁移転問題が生じたが、その都度事態を収束し今日に至る。画像は大正期~昭和前期の県庁正門と「埼玉県議会議事堂」を撮影したもの。
1869(明治2)年、県庁が浦和に置かれると行政・経済の中心地へと大きく飛躍することになる。また1883(明治16)年の日本鉄道(現・JR)による上野~熊谷間の鉄道開通とともに「浦和停車場」(現「浦和駅」)が開設されると、駅から県庁、さらにその周辺へと市街地が拡大していった。