このまちアーカイブス INDEX

「中山道」の宿場町として整備された街


「つきのみや」の愛称で親しまれている「調神社」 MAP __

今からおよそ2000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建されたといわれている「調(つき)神社」。「伊勢神宮」に献上する調物(みつぎもの)を納める倉庫群の中に造営されたことに由来し、調物の搬出入の妨げになるとして鳥居が設けられなかったため『鳥居のない神社』ともいわれる。また調(つき)の名が月と同じ読みであることから、中世の月待信仰とも結びつき、神の使いとされるうさぎが彫刻や石像として境内に配されている。【画像は昭和前期】

現在も狛犬の代わりにうさぎの石像が置かれているほか、拝殿の彫刻や手水舎、絵馬など、ところどころにうさぎの姿を見つけることができる。毎年12月12日に行われる大歳の市は「十二日(じゅうにんち)まち」と呼ばれ親しまれている。境内一帯は、1874(明治7)年に県内最古の公園「調宮(つきのみや)公園」となった。明治期には「浦和宿公園」「浦和公園」とも呼ばれ、現在は境内の東側が「調(つきのみや)公園」となっている。
MAP __(調公園)

平安時代に創建された「玉蔵院」 MAP __

「玉蔵院」は平安時代に弘法大師によって創建されたと伝わる真言宗の古刹で、大日如来座像が本尊として祀られている。写真は山門で、江戸後期の1803(享和3)年から1809(文化6)年の間の建立といわれる。【画像は昭和前期】

この山門は1986(昭和61)年に「玉蔵院山門」として市の有形文化財に指定された。境内の「地蔵堂」(さいたま市指定有形文化財)には平安時代末期の作となる「木造地蔵菩薩立像」(埼玉県指定有形文化財)が安置されており、地蔵信仰の寺としても長い歴史を持っている。毎年8月23日に行われる施餓鬼(せがき)は、「関東三大施餓鬼」の一つ。

本堂の横に樹齢100年以上のしだれ桜があり、桜の名所としても知られている。

「中山道」の日本橋から数えて三番目の宿場「浦和宿」の浮世絵 MAP __(本陣跡)

徳川家康の鷹狩りのときの御殿が設けられたことがきっかけとなり、「中山道」の日本橋から数えて三番目の宿場として整備された「浦和宿」。本陣1、脇本陣2、旅籠15と比較的小さな宿場町だったが、毎月2と7のつく日に「二・七の市」が開かれ、「慈恵稲荷神社」を中心に市場としての賑わいを見せていた。浮世絵は、江戸後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉(けいさいえいせん)の『木曽街道六拾九次』より『第四 支蘇路ノ駅 浦和宿 浅間山遠望』。噴煙を吐く「浅間山」に向かって歩く旅人と、荷駄を積んだ馬と馬子が描かれている。【画像は1835~1837(天保6~8)年】

『第四 支蘇路ノ駅 浦和宿 浅間山遠望』が描かれた場所は特定されていないが、地形や「浅間山」の方角などを勘案すると「浦和宿」の手前、現在のさいたま市南区辻二丁目付近で、かつて橋がかけられていた川は「辻用水」、中央奥の家並みが「浦和宿」と推察される。写真は現在の同地点と考えられる付近の様子で、正面のマンションの先が「浅間山」方面となる。現在「辻用水」沿いは「六辻水辺公園」として整備されている。
MAP __(六辻水辺公園)

松並木が続く風光明媚な「中山道」

「浦和宿」から「大宮宿」に至る約6kmの街道沿いには、かつて松並木が続いていた。与野、大宮方面へ向かう途中には、ケヤキ並木へと植え替えられている場所もある。【画像は1921(大正10)年】

1931(昭和6)年、省線電車(現・JR京浜東北線)の建設(東北本線の複々線化工事)の際、踏切を立体交差とするため線路は掘割にされ、「中山道」には「浦和橋」が架設された。架設以前、この周辺には両側に松並木があったという。現在の「浦和橋」は1967(昭和42)年に架け替えられた二代目。
MAP __


江戸時代の浦和の賑わい

野菜を売る女性の像

「旧中山道」から「市場通り」への入口付近に設置されている野菜を売る女性の像。
MAP __

江戸時代に入ると五街道の一つ「中山道」の宿場町として「浦和宿」が整備された。「浦和宿」は上町(現・常盤)・中町(現・仲町)・下町(現・高砂)からなり、現在の「仲町公園」付近に本陣が置かれていた。

江戸から近かったため宿場町としての規模は比較的小さなものであったが、毎月2と7のつく日に市が開かれる「二・七の市」は多くの人で賑わい、宿場町また市場として大きな発展を遂げた。この市は室町時代からはじまったとされ、昭和のはじめごろまで続いており、農具や食糧、日用品など幅広いものが売られていた。


江戸後期に活躍した十返舎一九の『続膝栗毛 十二編ノ下』にも、「しろものを積(つみ)かさねしは商人(あきひと)の おもてうら和の宿のにぎはひ」と詠んだ歌があり、当時の浦和の賑わいを現代に伝えている。


「浦和宿二・七市場」の市神と定杭

「浦和宿二・七市場」の市神と定杭。
MAP __

現在、「旧中山道」に面した「慈恵稲荷神社」の境内には「浦和宿二・七市場」の定杭(さだめくい)が残されている。市神の祀られた祠と、市の証である定杭が残る市場跡は全国的にも例が少ない貴重な文化財で、1962(昭和37)年に「浦和宿二・七市場跡 付市場定杭(つけたりいちばさだめくい)」として浦和市の史跡として指定された。


次のページ 県庁の設置


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る