「王子神社」は、創建年代は不詳で、古くから紀州「熊野三山」の「熊野権現」が祀られていたという。1322(元亨2)年、武蔵国豊島郡の一帯を本拠とした中世の武家・豊島氏は、紀州の「熊野三山」より「王子大神」を勧請し、「若一王子宮(にゃくいちおうじぐう)」として再興。戦国時代には後北条氏、江戸時代には徳川将軍家の庇護の下で発展、「王子権現社」と呼ばれ江戸の名所となった。三代将軍・家光は社殿を造営、特に「紀州徳川家」出身の八代将軍・吉宗は紀州との所縁から、1737(元文2)年に「飛鳥山」を寄進している。明治になると神仏分離が行われたため、「王子権現社」は「王子神社」へ改称された。写真は明治後期~大正前期の「王子神社」。
江戸期の「飛鳥山」から「滝野川」にかけての一帯は、江戸有数の行楽地で、春の花見、夏の川遊び、秋の紅葉狩りなど、一年を通じて賑わった。明治期に入ると大工場が立地するように。陸軍施設も続々と誕生し『軍都』とも呼ばれるようになり、人口は急増し商業も発展した。戦後、軍施設や工場の広大な跡地は団地や公共施設などになり、快適・便利に暮らせる街へと成長した。