1878(明治11)年、「内務省地理寮」は西ヶ原(現・東京都北区西ヶ原)に「樹木試験場」を設置、1881(明治14)年に「農商務省」へ移管された。1900(明治33)年に目黒へ移転となり「目黒試験苗圃」が開設され、1905(明治38)年に「林業試験所」へ改称した。写真は1907(明治40)年の「林業試験所」正門。1910(明治43)年に「林業試験場」へ改称となった。
明治後期以降、東京の鉄道網が発達すると、都心に近い目黒・大崎の地は、広い土地が求めやすかったこともあり、研究・教育施設の移転先や新設の地となった。