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目黒を彩る四季と行楽

目黒・大崎は「目黒川」と、その両岸に見られる「目黒川」が刻んだ「武蔵野台地」の起伏にとんだ地形が特徴。自然が豊かな地で、江戸期以降、行楽地としても発展した。現在も一帯は、初詣、節分、桜の花見、さんままつり、紅葉、酉の市、イルミネーションなど、四季折々に賑わいを見せる。


「大鳥神社」の「酉の市」 MAP __

浅草とともに有名な「大鳥神社」の「酉の市」は、1835(天保6)年旧暦11月、初の酉の日に下目黒の造り酒屋、大国屋與兵衛が浅草から熊手を取り寄せたことに始まるという。「酉の市」は元々が古代の神事に由来し、付近の農民が野菜や実用品を売るための市として始まったものといわれている。【画像は1953(昭和28)年】

「大鳥神社」の社名「おおとり」は、宝物を大きく取り込む「大取」に通ずるため、商売繁盛、開運招福の神様として多くの人々から信仰を集めている。【画像は2003(平成15)年】

「目黒川」の改修

写真は明治期~大正期、蛇行しながら流れる「目黒川」。大正期に入ると、治水および運河として船が運航できるようにするため、改修する計画が立てられ、1923(大正12)年に着工、一時中断ののち、1937(昭和12)年に完成、現在のような直線的な川となった。中目黒付近には船を導きいれるための船入場も設けられた。【画像は明治期~大正期】

「目黒川」の桜並木は昭和初期の改修に合わせて、地元の有志によって植樹されたことに始まる。1936(昭和11)年には、植樹の記念碑が「目黒橋」付近に建てられた。1987(昭和62)年に少し下流の「南部橋」付近に移されている。写真は現在の「目黒川」沿いの桜並木で、「中里橋」から下流方面を撮影。
MAP __(記念碑) MAP __(中里橋)

船入場の跡地には、1994(平成6)年に洪水調整池と親水広場「目黒川船入場」(写真右)が整備された。
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江戸中期に開かれた新坂「権之助坂」 MAP __

行人坂」に並行する新坂として「権之助坂」が開かれたのは江戸中期。坂名は中目黒の田道の名主・菅沼権之助に由来する。権之助は、名主として村人の窮状を幕府に訴えるも、それが罪に問われ死罪となり、馬の背に縛られ処刑に連れていかれる際、最後にこの新坂で家や村を振り返ったという。また、罪に問われた理由については、険しい「行人坂」に難儀していた通行人のため、権之助が私財を投じ新坂を切り開くも、その際に事前の許可がなかったため、という説もある。いずれにしても、その後、村人が権之助の功績をたたえ、新坂を「権之助坂」と呼ぶようになったといわれる。

写真は昭和30年代の「権之助坂」の様子。【画像は昭和30年代】

「権之助坂」一帯に広がる「権之助坂商店街」には、飲食店をはじめ多くの店が加盟している。

「東京優駿」初開催の地「目黒競馬場」 MAP __

一周1マイル(約1,600m)の「目黒競馬場」が開設されたのは1907(明治40)年のこと。「日露戦争」後の馬産奨励政策から競馬の普及が推進され、また馬券発売による利益を求めて全国に競馬場が乱立した時代だった。当時の「目黒駅」から同競馬場までの道はまだ狭く、競馬開催の時期には押し寄せる客でごった返したという。1932(昭和7)年には、第1回の「東京優駿大競争」(現「日本ダービー」)が同競馬場で開催された。しかし、翌年、北多摩郡府中町(現・府中市)に東洋一の競馬場を目指して建設されていた「東京競馬場」が完成したため、「目黒競馬場」は廃止となった。【画像は1930(昭和5)年】

現在、競馬場跡地は住宅地となっている。「目黒通り」沿いの「元競馬場交差点」などにその名を残すほか、記念碑も建てられている。「目黒記念」は、廃止が決まっていた「目黒競馬場」を記念し1932(昭和7)年に創設されたレースで、翌年の秋以降は「東京競馬場」にその舞台を移して行われている。

1931(昭和6)年に開業した「目黒雅叙園」 MAP __

石川県生まれの細川力蔵氏は、銭湯経営や不動産業で実業家となり、1928(昭和3)年に料亭「芝浦雅叙園」を開業、1931(昭和6)年に支店として「目黒雅叙園」を開業した。名前の由来は、教養人・趣味人が一日居ても飽きない場所という意味を持つ「文雅叙情」の言葉から。1938(昭和13)年に挙式から披露宴まで一貫したサービスの提供を始めており、日本初の総合結婚式場ともいわれる。

「目黒雅叙園」の場所には、江戸時代は「明王院」という寺院があったが、明治初期に廃寺になり、隣の「大圓寺」が仏像などを受け継いでいる。

写真は昭和前期の「目黒雅叙園」。【画像は昭和前期】

「目黒雅叙園」は全面改築を経て、1991(平成3)年にリニューアルオープンした。「文雅叙情」の精神は、おもてなしの心として現在も受け継がれている。趣の異なる七つの部屋を結ぶ「百段階段」は園内で現存する唯一の木造建築となっており、アートイベントなどの会場として使用されている。


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