戦後間もない1945(昭和20)年の暮れ、横浜市電の「浜停留所」前の戦車通行用に作られた疎開道路の一部にヤミ市が発生し、一間間口(1.8m)ほどしかない簡素な店が10軒ほど並ぶマーケットとなった。1954(昭和29)年にはアーケードをもつ商店街「浜マーケット」へ成長。横浜市電などを利用して、本牧や杉田といった町からも大勢の買い物客がやってきたという。【画像は昭和戦後期】
軍用地が多かった磯子・金沢一帯は、戦後、跡地の一部は工業地や住宅地として利用された。また、終戦直後に賑わった「浜停留所」前のヤミ市は「浜マーケット」へ発展。「上大岡駅」など主要な駅周辺は、商業地としても発展した。1970年代より「根岸湾」の埋め立てが進められ、新しい工業地帯が誕生。内陸部の「港南台駅」「洋光台駅」周辺には大規模団地も建設され、商業・工業・住宅と、地域により様々な性格を併せ持つ都市へ成長した。