このまちアーカイブス INDEX

浮世絵で見る『金沢八景』



浮世絵で見る『金沢八景』

現在は、京浜急行、横浜シーサイドラインの駅名にもなっている『金沢八景』は、近江国(現・滋賀県)の『近江八景』などとともに、中国の『瀟湘八景』の八つの名所の眺めを、わが国に当てはめたものの一つ。鎌倉に近い金沢地方の海景の美しさは、既に鎌倉時代から知られており、江戸時代初期に地元出身の随筆家、三浦浄心が1614(慶長19)年の『名所和歌物語』で、『瀟湘八景』を範する八つの場所を定めたのが始まりとされる。当初の場所は流動的であったが、その後「称名晩鐘」「乙舳帰帆」「平潟落雁」のほか、「小泉夜雨(こずみのやう)」「洲崎晴嵐(すさきのせいらん)」「瀬戸秋月(せとのしゅうげつ)」「野島夕照(のじまのせきしょう)」「内川暮雪(うちかわのぼせつ)」が八景となっている。

『武陽金沢八景略図』

『武陽金沢八景略図』【画像は江戸後期~明治期】

『武陽金沢八景略図』では、『金沢八景』の各所と寺院などの名所を赤色、土地名を黄色で記載している。また東を指す右上には「上総」(現在の千葉県)の地が記されている。『武陽金沢八景略図』は多くの版があり、作者も制作年代も不明であるが、歌川広重と多氣斎により描かれたとされている。左下に「多氣斎寫」、右下に「東屋蔵版」とあるため、元の多氣斎の版を当時の「料亭東屋」がお土産用に摺って売っていたと考えられている。現在は埋め立てなどで大きく変化した場所も、歌川広重らが残した浮世絵版画などで往時の姿を知ることができる。

「瀬戸秋月」として描かれた「平潟湾」の「瀬戸橋」方面の様子

「瀬戸秋月」として描かれた「平潟湾」の「瀬戸橋」方面の様子。【画像は大正期】

画像は「瀬戸秋月」を表す「平潟湾」の「瀬戸橋」方面の様子で、中央の建物は江戸時代創業の料亭旅館「千代本楼」、建物左手の海に突き出した部分は「琵琶島」。『武陽金沢八景略図』でも「千代本」の文字が確認できる。



MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る