「野猿峠ハイキングコース」。【画像は1954(昭和29)年頃】
戦前期、私鉄各社は沿線の観光地開発を進める中で、自然豊かな地でのハイキングを盛んに宣伝するようになり、昭和初期にはブームが到来。「京王電軌」もコースの案内を作成、新聞広告を出すなどで、多くのハイカーを集めた。「日中戦争」以降の戦時色が濃くなる中でも、ハイキングは心身鍛錬のため推奨されたことにより多くの人が訪れた。
「高幡不動駅」から「七生丘陵」の「平山城址」「六国台」「野猿峠」「道了堂」「御殿峠」などの見どころを結んでいた「野猿(やえん)峠ハイキングコース」は、戦前期から東京近郊の代表的なハイキングコースであった。野鳥料理の老舗「鎌田鳥山」は、昭和初期にこのコース沿いに開業して以来、現在に至るまで営業を続けている。 MAP __(鎌田鳥山)
「平山城址公園」付近からの八王子市街方面の眺望。【画像は1954(昭和29)年頃】
「野猿峠ハイキングコース」は戦後も「京王帝都電鉄」により整備が進められた。1954(昭和29)年にはコース沿いにあったゴルフ場を買収し、コースの中心地となる「平山城址公園」を開園、多くのハイカーで賑わった。
現在のほぼ同地点付近からの眺望。一番高いビルが「八王子駅」南口の「サザンスカイタワー八王子」。 MAP __(撮影地点)
現在「野猿峠ハイキングコース」は住宅地化などにより分断されてしまったが、一部区間は散策コースとして整備されている。ハイキングコースの中心地としての役目を終えた「平山城址公園」は、敷地の大部分を1975(昭和50)年に東京都が取得し、1980(昭和55)年に「都立平山城址公園」として開園した。 MAP __(都立平山城址公園)