伝統ある織物産業の不況もあり、1957(昭和32)年の「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)による「北八王子工業団地」をはじめ、市内に工業団地などが造成され、電気機械器具製造などの大工場の誘致が進められた。写真下側の大きな工場が日野市の「日野自動車」の工場、その上にみえる住宅地が日野台、その上の道路から八王子市となり、写真中央付近の長細い建物付近が1963(昭和38)年に「北八王子工業団地」に進出した「小西六写真工業」(現「コニカミノルタ」)の八王子工場。
江戸時代の宿場町から織物を中心とした商工業の街として発展した八王子。近年は産業都市、学園都市、住宅都市など、時代の変化と共に多様な性格を併せ持つ都市へ進化を続けている。