「ゼームス坂病院」は、1923(大正12)年に開院した精神病院。1935(昭和10)年、彫刻家・高村光太郎の妻、智恵子が入院、1938(昭和13)年に肺結核のためここで死去した。図は1924(大正13)年発行の地図。右が北となり、中央上に「ゼームス坂病院」の記載がある。終戦直前の1945(昭和20)年、「東芝大井病院」として改修され再開院。戦後の混乱期において、「東芝」の従業員と地域のための医療に貢献し、1964(昭和39)年に移転し「東芝中央病院」となった。
「ゼームス坂病院」の跡地には、1995(平成7)年に「レモン哀歌の碑」(写真)が建立された。「レモン哀歌」は智恵子の臨終を詠んだ高村光太郎の詩で、1941(昭和16)年に出版された詩集『智恵子抄』に収められている。
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