1937(昭和12)年、「丸ノ内ビルヂング」(以下「丸ビル」)の「行幸通り」を挟んだ向かい側に、「東京館」と命名された新ビルが着工となった。翌年、「日中戦争」の影響から工事の一時中止を決定したが、基礎部分の工事が進行中で、放置すると崩壊や周辺の土地が不同沈下する恐れがあったことから、基礎工事までは完了させた。「太平洋戦争」中は、この基礎部分に水を張って防火用貯水池とされ、戦後は復興用資材の貯木場に使用されたほか、夏の暑い日にはプールの代わりとして泳ぐ人もいたという。写真は戦後、貯木場として使用されていた頃の様子。奥のビルが「丸ビル」、その右が「郵船ビルディング」。
戦後も丸の内・大手町は日本を代表するオフィス街となり、「東京駅」は各方面へ向かう新幹線のターミナルとなるなど、交通の要衝としても発展している。近年、丸の内・大手町のオフィスビルは、超高層ビルへの建替えなど再開発が進んでいるが、「東京駅」の復元や、建替えの際にビルの外観の一部が保存されるなど、明治・大正・昭和期の各時代の歴史を感じることができる街となっている。