駅前再開発計画は、1968(昭和43)年に市の「長期総合計画基本構想」がまとまってから市民と行政が話し合いを重ねて進められていった。写真は1970年代の小田急「町田駅」周辺。「大丸ビル」(現「町田モディ」)手前の横浜線沿いに、1980(昭和55)年9月「町田マルイ」が、画面中央部の空地に、10月「まちだ東急百貨店」がオープンする。小田急と国鉄を結ぶペデストリアンデッキが完成したのは同年10月24日であった。【画像は1970年代】
昭和30年代以降、鉄道・道路網が整備され、大型団地の建設も進んだ。そのため町田は東京近郊の住宅地としても注目され、人口が増加した。さらなる生活の利便性向上のため駅前の再開発計画も進められ、東京西部最大規模の都市として発展していくこととなった。