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再開発で大きく様変わりした「町田駅」周辺

昭和30年代以降、鉄道・道路網が整備され、大型団地の建設も進んだ。そのため町田は東京近郊の住宅地としても注目され、人口が増加した。さらなる生活の利便性向上のため駅前の再開発計画も進められ、東京西部最大規模の都市として発展していくこととなった。


市街地再開発前の「町田駅」周辺 MAP __

駅前再開発計画は、1968(昭和43)年に市の「長期総合計画基本構想」がまとまってから市民と行政が話し合いを重ねて進められていった。写真は1970年代の小田急「町田駅」周辺。「大丸ビル」(現「町田モディ」)手前の横浜線沿いに、1980(昭和55)年9月「町田マルイ」が、画面中央部の空地に、10月「まちだ東急百貨店」がオープンする。小田急と国鉄を結ぶペデストリアンデッキが完成したのは同年10月24日であった。【画像は1970年代】

「原町田駅」の駅前 MAP __

1980(昭和55)年の旧「原町田駅」の駅前。右手に写る「ダイエー」は関東進出第一号店で、1969(昭和44)年6月の開店日には3,000人もの人々が集まり、1kmほどの行列ができたという。写真中央付近が「駆け足通り」の入口。【画像は1980(昭和55)年】

駅前再開発を経て商業エリアは拡大されていった。1980(昭和55)年の写真に写っている「モランボン」の看板が掲げられたビルも残っている。「ダイエー町田店」が入っていた建物は、「トポス町田店」「メディアバレー町田店」「ザ・ダイソーギガ町田店」などを経て2013(平成25)年に建て替えのため閉店、2016(平成28)年にタワーマンションが完成し、その1・2階に改めて「ダイエー町田店」が開店している。

再開発ビルに開店した「まちだ東急百貨店」 MAP __

1980(昭和55)年10月25日、駅前再開発ビルに百貨店である「本館」と、「まちだ東急スポーツ館」の2館から構成される「まちだ東急百貨店」が開店。写真はオープン当時の様子。【画像は1980(昭和55)年】

現在は「町田東急ツインズ・イースト/ウエスト」となっている。ほかの駅前の各ショッピングビルも、時代の変化に合わせてリニューアルを繰り返し、活気ある街作りに寄与し続けている。


鉄道開通を経て、発展する町田

横浜線を走るSLの様子

横浜線を走るSLの様子。【画像は1965(昭和40)年】

幕末期・明治期には『絹の道』を中心とする街道の要衝であった町田が、その後、交差する鉄道の連絡駅となるのは自然の成り行きであった。1908(明治41)年、『絹の道』に代わる生糸等の輸送路として「横浜鉄道」が開通。東神奈川~八王子間、42.6kmを結ぶもので、1日7往復、約101分で両駅間をSLが牽引する列車が走った。中間駅としては、「原町田駅」も含め7駅が置かれた。開通当初の「原町田駅」の年間利用者数は中間駅の中では最も多い約6万人であった。2年後には「鉄道院」(のちの「国鉄」)に借り上げられて「八浜線」となり、1917(大正6)年に買収されて「横浜線」となった。

1927(昭和2)年、小田急線が開通し「新原町田駅」が開業、「原町田駅」は乗換え駅となった。小田急線は、開通時から電車による運行であった。一方、横浜線は1925(大正14)年から東神奈川~原町田間で、東海道本線の電化に備えた電車の試験運転が行われていたが、実際にこの区間が電化されるのは1932(昭和7)年。全線電化は1941(昭和16)年のことである。

原町田には2つの駅が開設されたが、その距離は離れており、乗換えは不便であった。小田急「新原町田駅」は1976(昭和51)年に「町田駅」に改称。国鉄(現・JR)の「原町田駅」は1980(昭和55)年に小田急駅寄りに移転し、こちらも駅名を「町田駅」に改称する。こうして、乗り換えの利便性が増した「町田駅」は、さらに利用客が増加、発展することになった。



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MAP

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