江戸期から栄えていた川越の城下町は、江戸の街同様に火災も多く、数度の大火にも襲われた。明治期にも大火が相次ぎ、特に1893(明治26)年の大火(一般に「川越大火」と呼ばれる)では、当時、川越町にあった3,315戸のうち、1,302戸を焼失するという、甚大な被害を受けた。この時、「近江屋」(1792(寛政4)年築、現「大沢家住宅」)など、数軒の店蔵が焼失を免れたことから、復興の際、防火・耐火のため蔵造り建築が多く造られるようになり、商業地の大通り沿いには店蔵が建ち並ぶようになった。写真は大正期の店蔵の町並み。中央の大きな店蔵は呉服店の「足立屋」、その手前が和菓子店の「亀屋」で、どちらも「川越大火」後、同年中に建てられた。
川越は江戸期から地域の商業の中心地であった。明治中期の「川越大火」からの復興で、店蔵(土蔵造りの店舗)をはじめ、多くの耐火建築が建設された。経済の中心地であったことから、威厳のある銀行建築をはじめ、洋館、看板建築など、各時代ごとに特徴的な建物も建設され、現在も近現代の魅力的な建物が多数残ることから、多くの観光客が訪れる街となった。