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『蔵のまち』と戦前期の建物

川越は江戸期から地域の商業の中心地であった。明治中期の「川越大火」からの復興で、店蔵(土蔵造りの店舗)をはじめ、多くの耐火建築が建設された。経済の中心地であったことから、威厳のある銀行建築をはじめ、洋館、看板建築など、各時代ごとに特徴的な建物も建設され、現在も近現代の魅力的な建物が多数残ることから、多くの観光客が訪れる街となった。


「川越大火」と『蔵のまち』 MAP __(陶舗やまわ)

江戸期から栄えていた川越の城下町は、江戸の街同様に火災も多く、数度の大火にも襲われた。明治期にも大火が相次ぎ、特に1893(明治26)年の大火(一般に「川越大火」と呼ばれる)では、当時、川越町にあった3,315戸のうち、1,302戸を焼失するという、甚大な被害を受けた。この時、「近江屋」(1792(寛政4)年築、現「大沢家住宅」)など、数軒の店蔵が焼失を免れたことから、復興の際、防火・耐火のため蔵造り建築が多く造られるようになり、商業地の大通り沿いには店蔵が建ち並ぶようになった。写真は大正期の店蔵の町並み。中央の大きな店蔵は呉服店の「足立屋」、その手前が和菓子店の「亀屋」で、どちらも「川越大火」後、同年中に建てられた。【画像は大正期】

1971(昭和46)年に「大沢家住宅」が国の重要文化財に指定されて以降、建造物の文化財としての保護の機運が高まり、1981(昭和56)年には、店蔵17軒が市の指定文化財に。歴史的な景観の再現のため、1992(平成4)年度には「一番街」の電線地中化も行われている。1999(平成11)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて以降も修理・修景事業が行われ、より魅力的な街並みとなり、多くの観光客が訪れる街となった。写真は現在の「川越一番街商店街」。中央が旧「足立屋」の店蔵で営業する「陶舗やまわ」、左が和菓子店の「亀屋」で、川越の店蔵群の中でも特に有名な一画となっている。

「第八十五銀行」の本館 MAP __

1876(明治9)年の「国立銀行条例」の改正以降、全国各地で国立銀行の開設が続く中、川越においては、1878(明治11)年、江戸期からの豪商・綾部利右衛門らの尽力により、埼玉県内初の銀行「第八十五国立銀行」が開業した。1898(明治31)年、法律に基づき私立銀行の「第八十五銀行」となり、その後、埼玉県内の中小の銀行を吸収合併しながら規模を拡大していった。「第八十五銀行」となった同じ年には、同行の経営陣により、隣接して「川越貯蓄銀行」も開業した。本店の建物は、1893(明治26)年の「川越大火」で焼失し、1918(大正7)年に現在も残る保岡勝也設計の建物が完成した。

「第八十五銀行」は戦時統制により、1943(昭和18)年に「武州銀行」「忍商業銀行」「飯能銀行」と合併し「埼玉銀行」となった。写真は1959(昭和34)年頃の撮影で、右奥が「埼玉銀行 川越支店」(旧「第八十五銀行 本店」)。【画像は1959(昭和34)年頃】

この建物は、1996(平成8)年に「旧八十五銀行本店本館」として、埼玉県初となる国の登録有形文化財となった。「埼玉銀行」は、業界再編で数度の合併・解消ののち、2003(平成15)年に「埼玉りそな銀行」となり、この建物はその「川越支店」となった。2020(令和2)年、「川越支店」は移転し、現在は「埼玉りそな銀行 蔵の街出張所」が置かれている。

「山吉呉服店」は県内初の百貨店「山吉デパート」へ

「山吉呉服店」(屋号は「山田屋」)は、川越の渡邊家が江戸期より営んできた呉服太物商。明治初期に養子として入った四代目・渡邊吉右衛門は、パンフレットの発行・配布や、各種婚礼品を取り揃えるなど、革新的な商法を取り入れ、川越を代表する呉服商となった。また、「川越渡邊銀行」を創設、「川越商業会議所」の創設に加わり会頭も務めるなど、川越の商業の振興に尽くした。写真は1916(大正5)年頃の「山吉呉服店」の店蔵。左奥に見えるビルは、1915(大正4)年築の「桜井銃砲店」。店蔵に洋風の装飾を施した外観(いわゆる「看板建築」)であった。「山吉呉服店」は、1923(大正12)年、この店蔵の裏に木造3階建ての洋館を建設し、県内初の百貨店「山吉デパート」を開業、1936(昭和11)年には、店蔵部分を保岡勝也設計のビルに改築している。
MAP __【画像は1916(大正5)年頃】

「山吉デパート」は1951(昭和26)年に閉店し、同年、この建物に「丸木百貨店 川越店」(1956(昭和31)年に「丸広百貨店」へ改称)が入り、1964(昭和39)年に現在地へ移転するまで使用した。その後、この建物はキャバレーなどに使用されたのち、2006(平成18)年より復元工事が行われ翌々年に竣工、現在は渡邊吉右衛門の孫が歯科医院として使用している。「桜井銃砲店」だった建物は、「田中家住宅」として市の有形文化財に指定され、現在はカフェとして使用されている。

明治期以降、川越でも洋服を購入する人が増えたため、1910(明治43)年、渡邊吉右衛門は呉服店から洋服売場を独立させ「渡邊洋服部」を開業した。写真は1916(大正5)年頃の様子。場所は「山吉呉服店」の筋向いにあった。【画像は1916(大正5)年頃】

四代目・渡邊吉右衛門は明治中期より貸付けなど金融業にも参画、1913(大正2)年、志義町に「川越渡邊銀行」を創設した。写真は1916(大正5)年頃の様子。昭和初期、全国的に銀行の統合整理が進められる中、1937(昭和12)年に「第八十五銀行」に買収された。【画像は1916(大正5)年頃】

現在の「仲町交差点」と「本川越駅」を結ぶ「中央通り」は、1933(昭和8)年に開通した。昭和初期の「川越渡邊銀行」は、この「仲町交差点」の南東角にあった。
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昭和初期に建てられた「武州銀行 川越支店」 MAP __

武州銀行」は1918(大正7)年、浦和で設立された銀行。その「川越支店」の建物は1927(昭和2)年に竣工した。その後、「武州銀行」は合併・改称を繰り返し、1943(昭和18)年、戦時統制により「第八十五銀行」などと合併し「埼玉銀行」が誕生。「武州銀行 川越支店」は「埼玉銀行 川越南支店」となった。【画像は昭和初期】

この建物は1970(昭和45)年に「川越商工会議所」が取得し、現在も使用している。1998(平成10)年には国の登録有形文化財となった。


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