写真は現在の「柏駅」西口周辺の様子で、「高島屋フラワー通り」から「柏」駅西口を望む。
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現在は駅の東西で賑わいを見せる柏の市街地であるが、明治期に「柏駅」が開設されて以来、半世紀以上にわたって街の中心は東側だった。豊四季、明原、篠籠田など西口の各地区は長らく街の発展から取り残されていたが、現在のような賑わいを見せるまでに発展した背景には、そうした状況を憂慮した人々による「柏駅」西口開設の運動があったことも忘れてはならない。
「柏駅」の西口開設運動は、1950(昭和25)年頃から本格化した。柏が町制だった時代から議会議員を歴任した増田保氏は、西口の篠籠田で生まれ育ち、西口の発展を願い、その運動の先頭に立った一人。同氏が1983(昭和58)年に上梓した私家本『柏駅西口開設の思い出』には、署名活動や資金集めに奔走した当時の様子や胸内の熱い思いが綴られている。
その中で印象的なのが、念願叶って発展を遂げた西口をふと仰ぎ、かつての面影がすっかり失われてしまったことに自省と寂しさをにじませた一節。
『広場の一端に佇めば、昔日の面影はいずこにも残っていないことに気付くのである。僅か四分の一世紀の歳月は、春草の萌え出た小さな流れ、狭い谷津田、松林のたゝずまい、赤土を盛り上げただけの西口三号線市道、石灰粉を降りこめたような新国道等々、跡片もなく変え尽くした。』(原文ママ)
明治に生まれ、平成の夜明けを見る前にこの世を去った増田氏。『柏駅西口開設の思い出』が綴られた時から40年近く経過した今、さらに様変わりした柏の街と西口界隈を、かつての名士ならどんな思いで見つめるだろう。