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都心西郊の行楽地として

「豊島園」(のちの「としまえん」)は、水と緑豊かな環境と多彩な設備で開園から近年まで人気の遊園地であった。また、現在の旭町付近には、のちに高級料亭となる「兎月園」という遊園地もあった。こうした行楽地には都心から鉄道を利用して、多くの観光客が訪れた。


戦前から人気を博していた遊園地「豊島園」 MAP __

1926(大正15)年、実業家の藤田好三郎は、自らが所有していた土地を、運動と園芸を東京市民に広く奨励するために公開。この地が「練馬城」の跡であったことから、かつての城主・豊島氏の名にちなみ「豊島園」と命名された。1927(昭和2)年に全面開園、園内には「石神井川」が流れ、温室、ボートハウス、ウォーターシュートなどが設けられた。画像は水と緑豊かな園内の様子が描かれた「豊島園」全景の案内図。【画像は昭和前期】

写真は昭和初期の「古城の食堂」。開園当初に建設された建造物で、近年は「としまえん」の年間会員「木馬の会」の事務所として使われ、閉園時まで残されていた。【画像は昭和前期】

「としまえん」の閉園後、「古城の食堂」の建物の価値が注目され、練馬区民の有志や「日本建築学会」などからの要望もあり、保存・活用の可否について調査・検討が行われている。写真は2020(令和2)年、「としまえん」が閉園する前々日の「古城の食堂」の建物。

豆汽車や、カラフルな豆タンク(自動車)は子どもに人気の遊具だった。【画像は昭和前期】

全面開園時から人気を博したアトラクションの一つ、豪快な水しぶきが上がるウォーターシュート。【画像は昭和前期】

空飛電車とユネスコ列車(画面左)。一時、園内で運行されていたロープウェー(画面右)。【画像は昭和30年代後半】

「豊島園」発行の絵葉書。家族連れで賑わう大小のプールと、1961(昭和36)年に完成したナイヤガラプール。昭和40年代には流れるプール、アフリカ館など個性的な施設を公開し、遊園地界で先駆的な役割を果たしていった。【画像は昭和30年代後半】

「としまえん」は2020(令和2)年に閉園となった。写真は閉園前々日の園内の様子。跡地では、東京都により「(仮称)練馬城址公園」の整備が進められている。広域防災拠点の機能を持つほか、緑と水の自然や土地の歴史的背景などを活かした、憩い・賑わいの空間づくりがコンセプトとなっており、その一角には「ハリーポッター スタジオツアー東京」が2023年オープン予定となっている。

成増付近にあった遊園地・高級料亭「兎月園」 MAP __

大正後期から昭和前期にかけ、現在の練馬区旭町にあった「兎月園」。貿易商・花岡知爾が1921(大正10)年頃に会員制の高級農園「成増農園」を開き、来園者の休憩所を設けたことに始まる。【画像は大正後期~昭和前期】

古刹「妙安寺」の協力を得て、土地12,000坪を入手し、遊園地となったが「豊島園」の開園を受け、業態を高級料亭へと変更。「太平洋戦争」の激化により、1943(昭和18)年秋に閉園した。【画像は大正後期~昭和前期】

地元の人々が植樹した「石神井川」の桜 MAP __

「石神井川」沿いの桜は1934(昭和9)年に皇太子殿下の御誕生を記念して、地元の人々が植樹したもので、のちに桜の名所となった。また、1930(昭和5)年~1941(昭和16)年の耕地整理で「石神井川」の改修も実施され、河川の直線化や掘り下げなどが行われた。【画像は1953(昭和28)年】

写真は現在の様子。「石神井川」に隣接する「高稲荷公園」を左手に望む。


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