昭和初期の「東京市」の拡大の際、郡部が編入され、新たな行政区が作られることとなり、現在の練馬区域(以下練馬と表記)は、板橋区に含まれることとなった。練馬の町村は、これに反対し陳情を行ったが、結局、板橋区の一部に組み込まれることになり、1932(昭和7)年に練馬を含む区域で板橋区が誕生、東京市の行政区は35区となった。この時、「板橋区役所」は区域の東端、旧「板橋宿」付近に置かれた。同時に「練馬派出所」と「石神井派出所」も設置されたが、派出所で扱う業務は限られているなど、練馬の住民は不便を強いられることになった。練馬の独立運動は戦時下・戦後も続けられ、1947(昭和22)年、ようやく分離独立が決定したが、3月の東京都の特別区再編には間に合わず、練馬は板橋区の一部のまま、東京22区が発足。同年8月、板橋区から独立となり、東京都で23番目の特別区「練馬区」が誕生した。
「練馬区」は、1947(昭和22)年に「板橋区」から独立し、東京都の23番目の特別区として誕生した。江戸時代より特産品として知られた「練馬大根」は、戦後、生産量が減少したが、近年その価値が見直され、「練馬大根育成事業」が進められている。