現在の「光が丘団地」一帯は、田畑が広がる肥沃な農村地帯だった。ここに1943(昭和18)年12月、陸軍の「成増飛行場」が建設された。1942(昭和17)年から測量が始まり、翌年の8月には工事開始、わずか4ヶ月で完成している。南北に延びる1,800mの滑走路が造られ、首都防衛のために利用された。
現在の「光が丘団地」周辺は、もともとは肥沃な農地だったが、「太平洋戦争」の最中に陸軍の「成増飛行場」が建設され、首都防衛の拠点となった。この飛行場は戦後、駐留米軍家族が住む住宅地「グラントハイツ」となり、返還後は、23区最大規模の「光が丘団地」や、「東京都立光が丘公園」などが設けられた。