1590(天正18)年、徳川家康が関東へ入府すると、最古参の譜代である酒井重忠(しげただ)へ川越の所領が与えられ、川越藩の初代藩主となった。
川越藩は、江戸の北側を守る役目も受け持ち、藩主は酒井家ののち、松平信綱、柳沢吉保(よしやす)など計8家21人が務め、うち8人は幕府の要職(大老・大老格・老中)にも就いた。1639(寛永16)年より藩主となった松平信綱は、「川越城」の整備、城下町の大火からの復興、「十ヶ町四門前郷分」の整備、「新河岸川」「川越街道」の改修、「荒川」の治水などを行い、藩政の基礎を固めた。1694(元禄7)年には柳沢吉保が藩主となり、この時「三富(さんとめ)新田」の開発が行われている。川越藩は、江戸後期には関東では水戸藩に次いで2番目となる17万石の大藩となった。
1871(明治4)年、「廃藩置県」により川越藩は川越県へ、さらに同年合併により入間県(県庁は川越町)を経て、1873(明治6)年より熊谷県の一部となり、1876(明治9)年から埼玉県の一部となった。