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京阪電鉄の開通と、街の発展

1910(明治43)年に「淀川」左岸を走る京阪電鉄が開通、大阪の天満橋から京都の五条までが結ばれた。枚方町(現・枚方市)には「枚方駅」「枚方東口駅」の2駅が置かれた。1889(明治22)年に誕生した枚方町は、合併を経て戦後に市制を施行、枚方市となった。


「淀川」左岸沿いに京阪間を結ぶ京阪電鉄

「淀川」左岸の鉄道計画は、多数出願されていたものの、なかなか実現しなかったが、渋沢栄一らによる「京阪鉄道」と、村野山人らによる「畿内電気」によって、「畿内電気鉄道株式会社」が設立され、動きを見せる。その後「京阪電気鉄道株式会社」に社名を改め、1910(明治43)年には、地元待望の京阪電鉄が開通、大阪の「天満橋駅」と京都の「五条駅」が結ばれた。【図は明治後期】

ボギー車が京阪間を約1時間40分で

京阪電鉄開通当初、現在の枚方市周辺には香里、枚方、枚方東口、牧野、樟葉の5駅が開設され、少し遅れて「光善寺駅」も設けられた。運転されていた電車はやや小型のボギー車1両で、途中にカーブが多いこともあり、「天満橋駅」から「五条駅」への運行に約1時間40分を要した。市電と同じく路面を走る部分が多かったため、写真のように事故防止のための救助網が設置されていた。【画像は明治後期~大正初期】

1938(昭和13)年、枚方町の町域が拡大

1889(明治22)年、「枚方宿」を構成していた泥町・三矢・岡・岡新町に、南側の枚方・伊加賀を加えた六つの村により、旧・枚方町が成立した。これは現在の「枚方市駅」と「枚方公園駅」を中心とする狭い地域であった。その後、1938(昭和13)年に樟葉村など周辺の五村と合併し、新しい枚方町(いわゆる「大枚方町)が誕生、町域が拡大した。

1889(明治22)年の枚方町発足時の町役場は泥町に置かれたが、以降移転を繰り返した。1891(明治24)年に三矢、1894(明治27)年に枚方、1913(大正2)年に岡への移転を経て、1937(昭和12)年に写真右の三矢の新築された庁舎へ移転した。写真左は江戸期に「枚方宿」の本陣があった場所で、明治後期~大正期には「北河内郡役所」も置かれていた。しかし、枚方町の町勢の急拡大により庁舎も拡張が必要となり、1942(昭和17)年に岡(現「岡東中央公園」の場所)へ再び移転となった。 MAP __【画像は昭和10年代】

町役場の跡地は「枚方市立幼児療育園」(写真右)となっていたが、2019(平成31)年に移転した。現在は観光交流施設の整備が検討されている。「枚方宿」の本陣、「北河内郡役所」があった場所は「三矢公園」となっている。

1938(昭和13)年、枚方町の町域が拡大

1947(昭和22)年に市制を施行し枚方市となった。1955(昭和30)年には、津田村を編入している。市役所庁舎は、1960(昭和35)年に隣接地(現「岡東中央公園」)から現在の場所へ新築・移転となった(写真)。 MAP __【画像は1960(昭和35)年】

1960(昭和35)年築の庁舎は、現在も「枚方市役所」本館として使用されている。


京阪電鉄開通時に「枚方駅」と「枚方東口駅」

現在の「枚方公園駅」

現在の「枚方公園駅」。MAP __

現在の「枚方市駅」

現在の「枚方市駅」。MAP __

枚方の市街は「淀川」左岸沿いを走る「京街道」沿いに発展し、泥町・三矢・岡・岡新町の4村で「枚方宿」が構成されていた。明治維新後の1880(明治13)年、「枚方宿」の本陣があった三矢村に茨田郡(まったぐん)の郡役所が置かれた。1889(明治22)年には、旧「枚方宿」4村に枚方村と伊加賀村を加え、枚方町が成立。泥町に町役場が設けられた。

1910(明治43)年に京阪電鉄が開通すると、枚方町には旧「枚方宿」の東西に2つの駅が設けられることとなる。1つは「枚方宿」の東側に立地する「枚方東口駅」で、現在の「枚方市駅」にあたる。もう一方の「枚方駅」は現在の「枚方公園駅」で「枚方宿」の西側に置かれた。

1929(昭和4)年、信貴生駒電鉄枚方線の枚方東口~私市間が開業、京阪電鉄と「枚方東口駅」で接続することとなった。一方「枚方駅」の南東には「香里遊園地(香里園)」から「菊人形」が移され遊園地の玄関口の駅となった。

戦後、市制を施行し枚方市となり、1949(昭和24)年、「枚方駅」は「枚方公園駅」に改められ、同時に「枚方東口駅」の駅名は「枚方市駅」となった。



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