1896(明治29)年、牧野村の渚・禁野(きんや)に陸軍の「禁野火薬庫」が設けられた。「宇治火薬製造所」と「大阪砲兵工廠」の間に位置し、「宇治川」「淀川」の舟運が利用できること、また、人家が少ない丘陵地であることからこの場所が選定された。爆発事故の際、誘爆を防ぎ被害を低減させるため、火薬庫ごとを区分けする土塁が築かれていたが、2度の大爆発事故を起こし、周辺に大きな被害を与えた。写真は昭和戦前期の空中写真で、中央付近が「禁野火薬庫」。各建物(火薬庫)が土塁で区切られている様子がわかる。
現在、「禁野火薬庫」の跡地は「枚方合同宿舎」などになっている。
MAP __【画像は1936(昭和11)年~1942(昭和17)年頃】