明治初期、明治新政府の「神仏分離」政策の一環で、寺院に属さない神道専用の「神葬墓地」が求められていた。1872(明治5)年7月、会津藩出身の桐生氏が開いた「立山墓地」が、さらに同年11月には「立山墓地」に隣接する広大な郡上藩青山家の下屋敷跡地が「神葬墓地」として指定された。翌1873(明治6)年、政府が都市開発などの理由から従来の寺院・墓地を含め、朱引内(都心部)での埋葬を禁止したこともあり、1874(明治7)年に宗旨・宗派を問わない公共の墓地「青山墓地」として改めて開園となった。現在の「青山霊園」に改称したのは1935(昭和10)年。
「青山霊園」には、政治家、文学者、芸術家など歴史上の著名人の墓所も多くあり、参拝に訪れる人も多いほか、桜の名所としても知られている。写真は最初に墓地ができた「立山墓地」で、現在は「青山霊園立山地区」と呼ばれている。
MAP __(立山地区)