土地の境界がわからない、調べてもはっきりしない。現地でも、机の上でも、わかりづらい土地の境界について、具体例を交えて、できる限りわかりやすく伝える(ことを目的とした)、土地家屋調査士が解説したアドバイスです。
「公簿」と「現況」が合わない!①縄伸びについて
事例
最近、土地の測量をしました。すると、実測の面積が、公簿面積より20㎡少ないことがわかりました。隣地が私の土地に侵入していると考えてよいでしょうか?
結論
公簿面積と実測面積が一致しないことは、全く珍しいことではありません。そして、そのこと自体で、隣地が自分の土地を占有していると一方的に決めつけることはできません。公簿面積には信頼できない理由が何点かあります。どのようなケースで、公簿面積が信頼できるか、信頼できないか。まずそのことについて検証する必要があります。
この事例と結論は、今までの私のコラムの内容からすれば、初歩中の初歩とも言うべき内容です。しかし改めて、普段「登記簿(登記記録)」を見ることのない方々の立場になって、まして実際に自分の土地を「実測する(測量する)」ことになった方々の目線に立って考えれば、信じていたことがひっくり返るような、裏切られたような気持になることでしょう。ゆえに、その現実を毎日のように見ている私たち専門家だからと言って、お客様の心情を察すると軽々しく「公簿面積と実測面積はほとんど一致しないんですよ」などと言えるものではありません。
何が正しいのかを検証していく作業は、何が正しくないのか、何が信頼できない資料なのかを徹底的に探してあぶりだしていく作業のように思います。今回のコラムでは、公簿面積が信頼できないケースの理由を具体的に何点か挙げて、公簿面積が信頼できるケースに迫っていきたいと思います。
公簿面積とは
土地の登記記録(登記簿)に記載されている地積(面積)のことを、俗に公簿面積と呼んでいます。難しく考えないでくださいね。この不動産登記業界は古い俗称がいまだ良く残っております。「公簿」と言えば「登記簿」のことです。昔は「登記簿」と言って、法務局の倉庫に登記情報が記された用紙を綴りこんだ帳簿が大量にありました。しかし、その「帳簿」は、現在はコンピュータ化され「データ」となって保管されることになりました。これによって「登記簿」という言葉は時代遅れになり、「登記記録」へと名前が変わりました。
また、土地の「登記記録」には、土地の所在・地番・地目などが記載されています。面積についても記載されていますが、登記記録の中では「面積」という言葉は出てきません。ここでは「地積」と呼ばれています。そうです、「地積測量図」の「地積」です。
公簿面積が信頼できない理由
最初に断わっておきますが、直近で土地の分筆登記や地積更正登記が行われた土地は、法務局に新しい「地積測量図」が備え付けられています。それゆえに、実測面積を記載した新しい「地積測量図」は、「登記記録」に反映され、新しく書き換えられるので、公簿面積と実測面積は一致することになります。ゆえに、新しい「地積測量図」が法務局に備え付けられているという事実だけで、公簿面積の信頼性は格段に上がります。
問題なのは次の2つです。
①法務局に、「地積測量図」が存在しない土地であったとき。
②法務局に、古い「地積測量図」しか存在しない土地であったとき。
これらの場合、公簿面積の信頼性は下がってしまいます。原因として①のケースでは「縄伸び」などが代表例として考えられます。②のケースでは、「地積測量図」の作成する際の「残地求積」を挙げさせてもらいます。それでは、以下①の「縄伸び」について。
①縄伸びとは?「縄伸び」「縄縮み」について
「縄伸び」= 実測面積が公簿面積より大きい
「縄縮み」= 実測面積が公簿面積より小さい
簡潔に言えば、上記のようなことです。「縄伸び」の由来については、ネットで検索して頂ければたくさん解説がありますね。ただし、どうも、「縄伸び」を調べると、「明治時代の農家や地主たちが税金対策として土地の面積を過少申告していた」とか、「測量技術が未熟だった」とか、明治時代の人たちがいい加減でずる賢いイメージのように語られているものが多いです。果たして、一概にそう言えるのでしょうか?昔の先人たちの生き方はそこまで稚拙なものでしょうか。ある研究では、「縄伸び」とは、実に温情のこもった合理的な措置と位置付けています。私は「縄伸び」に対して少なからず畏敬の念を抱いています。それでは、固定概念をくつがえすために、少し紹介したいと思います。
江戸時代からすでにあった「縄伸び」という名の税控除
「縄伸び」のルーツをたどっていくと、江戸時代の検地にさかのぼっていくようです。江戸時代以前の「測量技術の未熟さ」を云々と論じるわけではありません。伊能忠敬先生の測量技術、さらにさかのぼって太閤検地は、誰もが知っているところです。江戸時代にも、現在と変わらず土地を測量する必要があり、測量屋さんがいたということです。具体的には、検地奉行が年貢の取り立てのために、村の農地を測量していくのですが、当時には興味深い境界確定方法があったようです。以下、何点か挙げてみます。
「陰引き」みひき
日照の悪い土地部分は農作物の収益性を考慮して、境界を動かし台帳の面積を小さくする。
「畔際引き」あぜきわびき
畔の幅を一尺として左右一尺ずつ境界を動かし、境界を動かし台帳の面積を小さくする。
「四壁引き」しへきびき
屋敷のある宅地部分について少し余裕を持たせ、境界を動かし台帳の面積を小さくする。
「抜歩」ぬきぶ
農地の中に、池や石塚などがあれば、その収益性のない部分を除外する。
「縄心」なわごころ
検地奉行が裁量で決める、現代版の課税面積控除。過酷な年貢の取り立てを憂慮し、農民を疲弊させないための境界確定方法。台帳の面積を小さくする。
「縄だるみ」なわだるみ
距離を測る際に、麻縄を強く引っ張るが、どうしても麻縄がたるんでしまう。その補正として、その長さに応じたたるみ分の長さを、測った距離から除外すること。これにより台帳の面積を小さくなる。
「端尺切捨」はじゃくきりすて
現在の四捨五入のような考え方ではなく、ある一定の数字に及ばない端数は切り捨てること。
以上です。後半のふたつは、境界の確定方法というよりも測量の算術のようなものですね。
どうでしょうか?検地という測量が、土地の正確な面積を測るというよりも、年貢取立てのための面積を測っていたことがわかると思います。上記の境界確定方法は、土地の筆界を確定させるというより、どうやら税控除や優遇措置に近いですよね。しかし「なわごころ(縄心)」なんて、日本人らしい素敵なネーミングセンスです。庶民の心のわかるお奉行様です。
ここまでは江戸時代の話しをしていましたが、時は明治になり地租改正が始まります。公図ができるときです。また「縄伸び」が発生するときでもあります。地租改正の地押丈量(測量)は、先ほど言及した江戸から続く検地台帳の内容と、農民からの申告内容を照合したようです。照合の結果、申告面積が検地台帳の面積に比べて増加、または同じであれば、現地調査なし。検地台帳の面積と比べて、申告面積が小さければ、税金逃れとみて「竿入(現地調査)」を行ったということです。ゆえに地域差はあるでしょうが、江戸時代の検地台帳に記載されていた内容が、そのまま、明治に継承されていったものは相当あったと考えられます。なるほど、検地奉行たちの「縄心」といった税額控除された面積が、いまだ法務局のPCから登記記録としてプリントアウトされている可能性もあるわけです。
また、地形的な話しになりますが、町の中心では「縄伸び」が少なく、面積の差異も少ない傾向があります。反対に、農地や山林では「縄伸び」が顕著です。特筆されるのは、山林の方が農地と比べてはるかに「縄伸び」が大きいということです。これは山林の方が、当時の役人たちの目に届かないという地形的な理由もあったと思います。しかし、町から離れている分、山林は収益性が少なく、土地の価値は小さいので「縄伸び」が大きいのはむしろ公平であるという考え方が当時の人々にあったようです。用途性や収益性で、課税額を変動させている昔の人々の知恵ですね。
「縄伸び」、深く勉強していくと面白くなってコラムでは書ききれなくなってしまいます。もちろん、人生をかけて真剣に「縄伸び」や「検地」の研究されている学者の方には頭が下がるばかりです。しかし、実務家の私たち土地家屋調査士は、知識を知恵にかえて、境界紛争の解決をしなくてはなりません。土地境界で悩む人たちのために、わかりやすい知識でもって、複雑な問題に対峙していく。これこそまさに現代の「なわごころ」です。次回は、「公簿と現況が合わない! その②「残地求積」について」を書きたいと思います。
杭を残して、悔いを残さず!ありがとうございました。