土地の境界がわからない、調べてもはっきりしない。現地でも、机の上でも、わかりづらい土地の境界について、具体例を交えて、できる限りわかりやすく伝える(ことを目的とした)、土地家屋調査士が解説したアドバイスです。
筆界特定事例
分筆により形成された筆界について、昭和48年に作成された比較的古い地積測量図を有力な資料として採用され、筆界が特定されたケース
法務局に保管されている地積測量図には、どれくらいの証拠価値があるのでしょうか?私の前回のコラム(2018年1月号 地積測量図の変遷)にある、地積測量図の変遷一覧表のとおり、作成された時期により証拠価値が変動することになります。事例にあるような昭和48年作成の地積測量図は必ずしも証拠価値が高いものであるとは言えません。一覧表にもあるとおり、「現地復元性」がある資料とは言い切れないからです。
昭和48年というと、我が国では、高度経済成長期の終盤ですね。当然ながら、パソコンはまだ普及していないですし、電子計算機も乾電池式が発売されて、やっと持ち歩きやすくなったというのが昭和48年頃です。伊能忠敬の測量に術に比べれば昭和の測量技術は進化していますが、現在の測量技術とは、はっきり言って比べものになりません。イメージとしては、現在が、1~5mmを計測できる測量機械を利用した測量技術に対し、昭和40年代の測量では、まだ人間が巻尺を引っ張って目測で目盛りを読み、ノートに手書きする時代です。ですから昭和40年に作成された地積測量図にmm単位の記載があること自体が、なんとも怪しいですし、かつ現地にmm単位で杭を埋設できるものなのかと、内心、思ってしまいます。
昭和40年代当時は、開発ブームであれだけの土地の造成があって、パソコンを使わず手書きで測量をやりきった先輩たちを敬服していますが、測量の精度を期待することは少し酷なような気がします。
さて、話がそれてしまいましたが、今回の事例では、そんな昭和40年代の地積測量図が現地の筆界特定の資料として採用されたという事例がありましたので簡単に触れてみたいと思います。
■事例の概要
対象土地甲の所有者である申請人は、自宅の建て替えのため、土地の区画を確定しようと隣接土地である対象土地乙の所有者(関係人A)に境界立会いを求めました。
申請人の主張する筆界はA点、B点及びC点を結ぶ線でしたが、関係人Aの主張する筆界はイ点、ロ点及びC点を結ぶ線でした。話し合いで折り合いがつかなくなり、境界紛争に発展したため、筆界特定の申請になったという事例です。
■申請人の主張
主張する筆界はA点、B点及びC点を結ぶ線である。関係人Aの建物への進入通路が狭くなっているのでA点からB点部分にブロック塀など作らず、申請人と関係人Aがかつて合意のもと、その東側通路部分を互いに使用できる状態にしていた。A点、B点、イ点及びロ点を結ぶ範囲の土地はもともと申請人の土地である。根拠として、法務局に保管されている昭和48年○月○日に作成の地積測量図が存在する。これは対象土地甲が分筆されたことによって形成された際に作成された地積測量図である。
■関係人Aの主張
主張する筆界はイ点、ロ点及びC点を結ぶ線である。ロ点に鉄製の杭が埋設されている。この鉄製の杭の埋設経緯は不明である。
■検討された事項
・境界標の有無
C点、D点、ロ点に境界標がある。C点にあるコンクリート杭について、埋設時期、埋設者は不明であるが、申請人、関係人A及び関係人Bの証言から三境の筆界点として埋設されたものと考えられる。D点にあるコンクリート杭について、埋設時期、埋設者は不明であるが、申請人と関係人Bの証言から両者の筆界点として埋設されたものと考える。C点とD点の位置関係は、実測の結果、昭和48年作成の地積測量図と比較して、辺長の誤差が1.5㎝であるため、公差の範囲である。
ロ点にある鉄製の杭について、埋設時期、埋設者は不明である。関係人Aの証言では筆界点との認識だが、申請人は全く認めていない。申請人の根拠とする地積測量図と比較して、辺長の誤差が20㎝あるため、公差の範囲外である。この鉄製の杭はただちに筆界点を表したものとしては認められない。
公差の範囲とは
現地に表示された筆界点(境界標)を測量した結果と、地積測量図など図面による筆界点の位置情報を比較すると差異が生じます。この差異が公差の許容範囲内なら、両者は同一点にあるものとして考えてよいということです。不動産登記規則第10条第4項にある「精度区分」を「公差」と呼んでいます。詳細な公差の数値は、国土調査法施行令の別表に記載があります。
・ブロック塀などの囲障等工作物
A点、B点、イ点及びロ点付近に、ブロック塀等の囲障等工作物は存在しない。 C点、D点、ホ点及びニ点には万年塀、ブロック塀が存在する。これらの囲障等工作物の設置時期や、施工者についての情報を聞き、また位置関係を実測し、その結果を、地積測量図等の証拠資料と比較して検討する。
囲障とは
〘専門用語 法律〙 隣り合った建物の所有者が敷地の境界の上に設けた塀・柵(さく)などの囲い。 「-設置権」『大辞林 第三版』より。
■今回の事例でもっとも重要な検討ポイント
・地積測量図についての検討
昭和48年作成された、現地復元性の乏しい地積測量図が、証拠資料として採用されたことが今回のコラムのテーマです。
今回の事案では、各筆界点すべての位置に境界標が出てくるわけではありません。また、問題になっている筆界付近にブロック塀等があるわけでもありません。ゆえに、より大きい範囲で測量することが必要になります。この地積測量図が判断資料になるか確認するためです。当然ながらD点、ホ点、ハ点、ニ点の位置関係を測量し、これらの4点がまた他の資料(隣地の地積測量図等)や、現地の工作物、道路などの公共物、さらなる隣接土地所有者の証言と照らし合わせながら、比較検討していきます。この場合、道路で囲まれるような大きな区画で測量し、それらを徐々に狭めていきながら、最終的に本件対象土地甲と対象土地乙の範囲まで追い込んでいく手法を取るでしょう。
結局、今回の事案では、D点、ホ点、ハ点、ニ点を超える広い範囲から測量、検討した結果、昭和48年作成の地積測量図の整合性、精度が非常によく、他の反証する資料も存在しなかったことから、判断資料として採用されたようです。専門家としても、非常に興味深いケースで、印象に残りました。
■結論
作成された時期はいつであれ、その地積測量図は、現地の筆界を特定する上で判断資料として採用して良いのか、不採用とするべきか。十分に検討された上で判断されることが、何よりも大切です。
今回の事案では、問題になっている筆界付近に、境界標や、ブロック塀などが存在せず、返って検討すべきことを複雑化することなく、地積測量図の信ぴょう性を際立たせたかもしれません。地積測量図の形状は、公図とほぼ一致しており、現地の実測面積も公簿面積と公差の範囲内でおおむね一致していたことも、地積測量図の証拠価値を高めることに貢献したようです。
最終的に、本案件は申請人の主張の通り、この昭和48年作成の地積測量図をもとに、A点、B点及びC点を結ぶ線が筆界であると特定されました。古くて精度の期待できない地積測量図ですが、他の資料との十分な比較検討、現地における十分な測量などを経て、昭和40年代の資料でも、強力な判断資料に変わりました。
大切なのは、徹底して資料を集め検討すること。最近、特に思っているのは、本当に資料集めが大変なこと。郷土資料や、米軍の航空写真資料まで集めたりして、本当に気が滅入ってしまいます。天気のいい日に外出して、広大な敷地を仲間と測量することは、なんとストレス発散になることか。良い仕事です。
杭を残して、悔いを残さず!ありがとうございました。