土地の境界がわからない、調べてもはっきりしない。現地でも、机の上でも、わかりづらい土地の境界について、具体例を交えて、できる限りわかりやすく伝える(ことを目的とした)、土地家屋調査士が解説したアドバイスです。
公図の性格を知って、正確性を知る
事例
「先日、土地を売却しようとしましたが、公図を見ると、私の土地と道路との間に他人の土地が入っていて、私の土地が道路に接道していないというのです。現地にはそのような土地は見当たらないのですが、そんなことが起こるのですか?私の土地は本当に道路に接道していないのですか?
私の事務所にはこのような問い合わせが良くあります。良くあるといっても、1年に1~2回ですが。公図は、境界線の長さや土地の広さなど、現地を正しく反映していないことが頻繁にあります。この手の公図を巡るトラブルは、率直に言って、土地家屋調査士泣かせと言いますか、非常に困難な案件となります。逆に言えば、解決したときは土地家屋調査士として冥利に尽きるものとなります。
公図を巡るトラブルを解決するためには、徹底した資料の調査、現地の測量、そして、近隣を含めた土地所有者の境界立会いを経ながら検証を進めていくことになります。私の経験では、事例の検証結果が、「公図のとおり、本当に見知らぬ土地があって接道していなかった場合」と「公図に問題があることが判明し、その公図を訂正することになった場合」が、50対50というところです。お客様は「この公図はおかしい!」とよく飛び込んできますが、毎日、公図を眺めながら仕事をしている私からすると、「公図はなかなか正確で優秀だな」という感覚です。
今回は、土地の売買や管理上、思わぬ落とし穴になる「公図」についてお話します。
土地家屋調査士に「公図」を語らせると何時間でも話せてしまう、それが「公図」です。
しかし、皆様に少しでも「公図」を身近に感じてもらいたい、そして、精度の悪さや図面としての不十分さの裏に、「公図」のもつ歴史的な価値、重要性が存在することを伝えたいと思います。(コラムでは「公図」について何回かに分けてお伝えしますのでご容赦ください。)
「地図」ができるまでのピンチヒッターが「公図」
「公図」という名称は俗称です。平成5年の不動産登記法の改正によって、「公図」は「地図に準ずる図面」という名前が付けられました。では「地図」とは何か?「地図」とは土地の区画や地番を正確に示し、その「地図」をもって現地の境界を復元できる精度の高いもののことです。現在、我が国では全国の「地図」を作成中です。作成には膨大な費用と労力が必要です。「地図」が配備されるまで、暫定的に活用していくものが「地図に準ずる図面=公図」なのです。「公図」は、「地図」ができるまでの、暫定的な代用物です。
都市部こそまだまだ「公図」が活躍中
法務局に備え付けられている地図の総枚数は約440万枚です。うち「地図」は約190万枚、「公図」は約250万枚です。なんと「公図」が過半数を超えて全体の56%占めています。よって「地図」の普及に関して、我が国はまだまだ発展途上と言えるのです。ちなみに私の実家のある茨城県では、法務局で公図を取得しようとすると、結構な確率で「地図」が出ます。ところが、私の職場である千葉県では「公図」が出ることが多いですね。「地図」の普及は、特に東京や大阪においては全体の20%程度で、都市部においてはかなり遅滞している状況です。
「公図」は地租改正のときに作られる
前述したように「地図」は現地復元性のある精度の高いものですが、反対に「公図」は現地復元性を持っていません。「地図」は精度の高い測量をもとに作成されています。しかし、「公図」が誕生したのは明治時代です。今とは比べ物にならない測量技術の時代です。「公図」は明治6年~14年の地租改正時に作成された「改祖図」などをベースとして作成されています。もともと地租改正の目的は、各土地の面積を求めて課税することにありましたから、大急ぎで日本全国の図面を作らせたのです。ここで驚きなのは、わずか8年の間に測量経験のない村民たちが簡易な測量方法を駆使して、この公図のもとになった「改祖図」を作っていくことです。明治新政府が地租改正事業を早期に完了させ税金を徴収したいという思惑と、村民たちの土地に対する強い気持ちが一大事業を短期間で成し遂げてしまうわけです。本当に凄いことです。しかし、村民たちは測量のプロではありませんので、しっかりとした測量や作図の技術を持ち合わせていませんでした。まず、村民たちは一筆ごとに測量して小さな図面を作成し、それらをつなぎあわせて村全体の大きな図面を作成していきます。現代の測量では「地図」を作成するにあたって、精度を上げるため、一度大きく全体を測量してから、細部の測量を行っていきます。よって「公図」は、現代の測量方法とは反対の方法で作られています。村民たちの測量技術の未熟さだけでなく、このような測量方法からも「公図」の精度は低いものと言えるでしょう。
「公図」は問題児?縄のびもやりたい放題!
「縄のび」という言葉があります。語源は、かつて検地の際に、年貢の負担を軽減するため、実際よりも長めに目盛りをうった縄を使って、面積を少なめに測量したことに由来しています。やはり明治時代においても、村民は税金の負担を軽くするために本当の面積よりも少なく申告することが多かったようです。これら「縄のび」によって、「公図」では現況の土地よりも小さく作図されているものが多いです。ゆえに測量技術の問題だけでなく、「縄のび」のような意図的な問題も重なって、ますます「公図」と現地の整合性は取れなくなっていきます。
「公図」の性格、見方を変えてあげればとても優秀
ここまでの内容では精度が悪いと私に酷評されている「公図」です。皆様を心配させてしまいますよね?でも、大丈夫です。問題児であっても、その「公図」の性格を理解してあげて、親の目線を変えてあげましょう。そうすれば不思議なくらい優秀な一面もあることに気づいてしまうのです。「公図」の性格を理解する上で、最近の判決でこのようなものがありました。
「明治初期にまでさかのぼるような古い字図が作成された当時は、測量技術が未熟であったため、一般的な字図(公図)の性格として、配列、曲がり具合、地形的特徴等の定性的な事項については比較的正確に記載されているが、距離、角度、面積等の定量的事項については必ずしもそうではなく~」(平成14年6月27日福岡高等裁判所 平成9年(ネ)第785号境界確定請求控訴事件判決)
要するに「公図」は、距離、角度、面積などの定量的なものはそれほど正確とは言えないが、位置や形状などの定性的なものについては比較的正確であり信頼できるということです。位置というのは、隣の土地との並び方や配列のことなどです。形状というのは、直線や曲がり点の有無、その土地が四角形なのか五角形なのかという形のことなどです。地形的特徴とは、具体的に、水路や堤防、崖地などの存在やその利用状況のことなどです。
前述したように「公図」は地租改正時に課税を目的として、村民たちが作成したものでした。官吏の検査や、その後の測量習熟者による更正もありましたが、明治22年から課税台帳の附属として「公図」は税務署に長い間保管されていました。しかし、戦後の昭和25年以降、登記事務などを法務局(登記所)で行うことになったため、「公図」は法務局へ移管されます。これらの古図をトレース(敷き写し)して電子画像にしたものが、現在も使っている「公図」そのものです。
「公図」は、もともと課税するための基礎資料ですから、田畑であるとか、宅地であるという土地の利用状況や地形的特徴を明確にすることが元来の目的でした。また、距離や面積といった定量的なものは、当時の測量技術には限界があったことは前述のとおりです。ゆえに政府が課税のために作成した、また、村民たちが短期間の測量で作成した「公図」に、現代の我々が、土地の面積や距離、角度の正確性を求めることはそもそも期待できないわけです。しかし、「公図」が作成された経緯や事情を踏まえて検証すると、位置や形状などの定性的なものに関しては非常に優秀な資料となります。「公図」の性格を見極めて、視点を変えることが重要です。
「公図」との付き合い方
事例の場合、「公図」を読み解くことで、お客様の土地付近に古い「赤道」があったのですが、この幅員が狭かったため近くのお寺が土地を慈善活動で貸していたことが判明しました。そのお寺の土地が残っていたのです。また、別の事例ではお客様の土地が傾斜地で、裏山の雨水を排水するための古い水路がそのまま「公図」に残っていたことが判明したこともありました。
私たち土地家屋調査士は単に「公図」を見るのではなく、公図を「読む」という心構えで調査、分析や判断を行っています。さすがに、このコラムを読んでくださる皆様に対して、そこまで要求するつもりはありませんが、どうぞ「公図」を手に取った際は「公図はおかしい!」などと決めつけず、温かい目線で接してあげてください。歴史的な重みを感じながら、激動であった明治時代の人々の努力を称えていきたいものです。
杭を残して、悔いを残さず!ありがとうございました。