土地の境界がわからない、調べてもはっきりしない。現地でも、机の上でも、わかりづらい土地の境界について、具体例を交えて、できる限りわかりやすく伝える(ことを目的とした)、土地家屋調査士が解説したアドバイスです。
地積測量図の変遷
事例
「先日、今後の土地活用も考えて、法務局に地積測量図なる図面があるようなので、取りに行きました。ところが法務局の方から、私の土地には地積測量図がないと言われました。登記簿のある土地なのだから、当然に地積測量図なる図面があるものだろうと思っていました。なぜ、私の土地には地積測量図がないのでしょうか?そもそも、法務局に保管されている地積測量図とはどのようなときに作成されるものなのですか?」
「地積測量図」の定義
今回は「地積測量図」についてお話していこうと思います。
「地積測量図」の定義は、「一筆の土地の地積に関する測量の結果を明らかにする図面であって、法務省令で定めるところにより作成されるものをいう」(不動産登記令第2条第3号)というものです。
一筆の土地ごとに作成し、原則250分の1の縮尺で作図するという細かい規定もあります。地積、すなわち面積を明らかにする図面ではありますが、ほかにも境界標の位置や種類、境界点間の距離なども明らかにされていますから有力な資料となります。
「地積測量図」が作成されるとき
「地積測量図」は、以下の登記申請のときに作成され、法務局に保管されます。
・土地分筆登記→一筆の土地を複数に分割すること
・土地地積更正登記→登記簿の面積を正しい面積に訂正すること
・土地表題登記→登記簿にない土地を新たに登記簿に載せる登記のこと(水路や里道の払い下げを受けた時、または、埋め立てなどで新たな土地が生じた時)
ですから事例のように、法務局に「地積測量図」がない場合というのは、過去に上記の登記をおこなっていないので、そもそも法務局に「地積測量図」が保管されていなかったということが考えられます。私もお客様から土地の測量を依頼された時、資料調査で法務局に行くのですが、実際に「地積測量図」のない土地が多数あるという実感があります。
これらの「地積測量図」は法務局にて手数料を支払って、誰もが閲覧、写しの交付を受けることが可能です。「地積測量図」があれば、他人も閲覧可能ですので、「自分の土地はここからここまでだぞ」と、法務局のお墨付きのもとで自らの境界を公示できているようなものです。
お客様の中には、自分の土地の「地積測量図」を法務局に備え付けさせたいためだけに、土地地積更正登記を申請する方もいらっしゃいます。これはなかなか賢明な考え方です。私たち測量をする者は、まず近隣の「地積測量図」をほぼ確実に調査してから業務に当たります。法務局のお墨付きの「地積測量図」があれば、それを十分に検討、尊重して測量を進めていきます。これだけで十分効果はありますよね。せっかく測量したのに、法務局に保管されず、測量図が自宅の押し入れや、古いバインダーの中に収まっていれば、その成果は誰も参考にすることはありません。知られたくないという方もいらっしゃいますので、測量の成果を秘密にしておくのか、公示しておくのか、どちらが良いかはその状況で判断しましょう。この手のご相談も結構あります。本当に難しい駆け引きがありますね。
「地積測量図」の変遷
法務局に備わっている「地積測量図」があれば安心ではありますが、ひとつ注意すべきことがあります。前回のコラム(2017年12月号 公図の性格を知って、正確性を知る)でお話しした公図と同じように、「地積測量図」にも作成された時代に応じてその変遷があります。これは測量技術の変遷と比例して、劇的な進化を遂げていきます。この変遷を知らないと思わぬ落とし穴があります。前回の公図と同じように、「地積測量図」の性格を知って、その正確性を知っていきましょう。
①昭和35年3月以前の「地積測量図」について
原則として、この時期の「地積測量図」は法務局にはありません。当時、土地の分筆を行う場合は、土地台帳を扱っている市町村役場に図面等を添付して申告する形式をとっていました。あくまで納税のために面積を表示するという趣旨の図面であったため、境界の位置を明確にするものではなかったようです。それらの図面は「申告図」と呼ばれています。保存期間も10年であったため、ほとんどが廃棄されています。まれに市町村役場等に残っていることがあるようです。私は、この10年の土地家屋調査士の経験の中で、数回しか申告図を見たことがありません。いずれの時も、お客様の古い金庫の中から、または権利証の入っている古びた封筒の中にひっそりと収まっていた印象があります。
②昭和35年4月~昭和41年3月までの「地積測量図」について
原則として、この時期から法務局へ「地積測量図」が提出されていきます。不動産登記制度の合理化を図る目的で、土地台帳制度(税)と登記制度(登記)が統合(一元化)されたのがこの時期です。土地台帳はこの7年間の間に法務局に移管されていきます。しかし、地域によって、土地台帳の移管完了が昭和39年であったり、昭和40年であったりと差があります。昭和41年頃になれば、まず移管は完了されていますので、「地積測量図」は法務局に残っていることでしょう。
ここで重要なのは、「地積測量図」の保存期間です。昭和35年3月以前の申告図は保存期間が10年であったのに対し、法務局に提出された「地積測量図」は永久保存になりました。ただ、この時期の「地積測量図」は、長さは「間」、地積は「坪」の単位で表示されており、まだ測量機器も機械化されていなかったので、精度は今とは比べものにならないものでした。当然、境界標識の記載などは義務付けられていませんでした。ゆえに現地復元性のある図面ではないので、この「地積測量図」をもって現地に正しく境界を復元することは難しいでしょう。
③昭和41年4月~昭和52年9月までの「地積測量図」について
この時期から、一部の「地積測量図」で境界を正しく表示しようとした動きが見られます。長さの単位も「メートル」へ、地積の単位も「平方メートル」へと変わっていきます。測量も依然として平板測量が主流ですが、後半に測量機器にトランシットが登場するようになります。また、計算機もそろばんから電子的な計算機に移行していきます。しかし、図面自体の精度に関しては、現在の測量技術に比べればまだまだ比較にならないものです。申告図よりも境界を正確に表示した図面へと飛躍していますが、それでもまだ面積を表示することの方が重要視されていたため、現地復元性のある図面とは言えませんでした。この当時の図面は手書きが主流だったので作図する側も本当に大変だったと思います。もう一点特徴的なのは、当時の宅地造成の流行に乗って、かなり急いで作ったと思われる「地積測量図」が出回った時期であること。整合性の合わない図面もあり、返ってこの「地積測量図」のせいで、いま現在も現地を混乱させていることがあります。非常に皮肉なことです。
④昭和52年10月~平成5年9月までの「地積測量図」について
昭和52年の法改正により、「地積測量図」に境界標や引照点の表記が規定されました。しかし、まだ義務化はされていないので記載されていないものもあります。この時期から精度区分に対する考え方も表面化していきます。これらは土地の地価の上昇や、測量技術や機械の進歩を象徴しています。今までは納税のための面積を表示していた「地積測量図」が、財産や権利を守るための面積を表示する「地積測量図」に変わっていくのですから。しかし、後半はバブル期です。私は、バブル期を知らない世代なのでよくわかりませんが、法の整備はいつでも遅れてついてくるものだなと思いました。本当に大変な時期だったと思います。現地復元性のある図面を国民が求めた時代であり、「地積測量図」はそれに追いつこうとした時代であると考えます。
⑤平成5年10月~平成17年3月6日までの「地積測量図」について
平成5年の法改正により、「地積測量図」に境界標の表記が義務づけられました。すなわち筆界点には永続性のある境界標を設置し「地積測量図」に記しなさいということです。また、境界標がないときは、その位置を明らかにするため、筆界点と近傍の恒久的地物からの距離・角度・座標等を記載することになりました。複雑な座標計算はコンピュータにデータ送信して、測量CADで計算することが今では当たり前になっています。当然、プロッターからプリンターへ、印刷の技術も飛躍的に向上しました。かくいう私も調査士の試験以外で「地積測量図」を手書きで書いたことはありません。ここまでくると、現地の復元が可能な「地積測量図」と言えます。また、この時期は、測量する際に隣接地所有者との境界立会いを行うことが厳格化された時期であると言われることもありますが、私の知る限り、昭和の後期でも境界立会いをしっかり行っていたとわかる資料を多々見ておりますので一概には言えません。ただ、この時期には隣接地所有者の本人確認のため、印鑑証明書を強くお願いしていた時期もあって、現場ではかなりの苦労があったことを覚えています。
⑥平成17年3月7日以降までの「地積測量図」について
この法改正では、より現地復元性を高めようとした傾向が見受けられます。まず、公共座標(公共基準点)を利用して「地積測量図」を作成することになりました。部分的に作成される「地積測量図」を、広範囲で全体的な測量図へとシフトチェンジする動きです。これは測量する側からすると大変な労力です。せっかく、資料収集もネットを使って高速化したのですが、この基準点測量で結局時間がかかってしまい・・・という訳です。これは国家のために、未来のためにということで日々測量にまい進しております。
もうひとつ重要なのが分筆登記の際に、「全筆求積」が義務づけられたことです。今まで、分筆したい土地の部分だけを求積した「残地求積」が許されていました。しかし、これからは分筆したい場所だけでなく、その土地すべての境界を確認し、求積した「地積測量図」を作らなければなりません。測量業務は膨大な量となりましたが、「地積測量図」の現地復元性は飛躍的に向上していると思います。当然、境界標の種類や、測量年月日まで「地積測量図」に記載するようになっていきました。たくさんの足跡を後世に残すことになってしまい、土地家屋調査士の使命は重くなっていくばかりです。
さて、今回はざっと「地積測量図」の変遷について紹介して参りました。「地積測量図」も「公図」と同様、その時代や変遷に応じて対応して行かなければなりません。ざっくり話していく中で、いろいろな言葉出てきたと思います。たとえば、一覧表の測量機器の箇所にある「平板」や「トータルステーション」という言葉です。一体どんな機械であったか、皆様は想像すらできないと思います。率直に言って、これは「黒電話」と「スマートフォン」ほど違うと思います。私のコラムを読んで下さる方には、今後これらを解説していきますね。
かくいう私も「⑥平成17年3月7日以降」に土地家屋調査士になった人間であります。
「残地求積」が当たり前だった時期に、「全筆求積」の義務化の話しを聞いたときは大変なことになった、ますます家に帰れなくなる忙しさだと思いました。しかし、ネットや携帯電話等の通信技術が高速化したおかげで、なんとか家に帰れてしまいます。社会にたくさんの足跡を残して、高速で家に帰れてしまう、なんとも理にかなった皮肉な時代であると思います。
杭を残して、悔いを残さず!ありがとうございました。