不動産を中心とした資産活用及び相続対策について、税理士のアドバイスです。
民法改正と持ち戻しの免除
先日、事務所にAさん(78)が相談に見えました。Aさんが亡くなると相続人は先妻との間の子X(50)と後妻Y(58)の二人とのこと。Aさんの財産は自宅マンション(時価5千万円:相続税評価額2千万円)と預金や株式など金融資産5千万円、合計1億円です。
Aさんの心配は、先妻の子Xに浪費癖があることとXYが疎遠なことです。
「私が亡くなった後にXとYが争うことなく遺産を分割して欲しいのです。そのために、今、しておかなければならないことを教えてください。息子は浪費家で遺産を渡してもあっという間に使い切ってしまうと思います。渡してもしょうがない」とAさんはため息をつきながら言います。
「奥さんにほとんどの財産を残したいのですか」
「ええ、そのためにはどうしたらよいでしょうか」
「奥さんとの婚姻期間は戸籍上20年ありますか」
「来月3日に満20年になります」
「そうですか。では来月4日以降にご自宅を奥さんに贈与しましょう」
「贈与すると税金がかかりませんか」
「贈与税の申告は必要ですが。基礎控除と合わせて2,110万円までは税金がかからなくなる特例があります。その特例に当てはまるように計画しましょう」
「それ以外に気を付けることはありませんか」
「ご自宅の贈与をより有効にするために遺言を書いていただく必要があります」
「ほう、遺言を書くとなにかいいことがあるのですか」
「ええ、遺言で持ち戻しの免除の意思表示をしていただきます」
「持ち戻しの免除?」
「ええ、Aさんが亡くなった時に現存する財産だけを遺産分割の対象にして、これから贈与する自宅は遺産分割の対象とする財産計算に入れないというお考えを明確にするのです」
「そうですか。そのようにしておかないとどのようになるのですか」
「遺言がなく、遺産を相続人全員で分けようとする場合、生前の贈与を含めた財産を分割対象にするのが原則です。Aさんの場合、せっかく事前に贈与しておいたご自宅を亡くなった時のAさん名義の財産に足してXとYの取り分を計算するのが原則です」
「ほう、ちょっと嫌な原則ですね。私が亡くなった時に妻が住む場所を失うのがこわいので事前に自宅を贈与して、残りの金融資産を妻と長男で分けるようにしたいのですが」
「Aさんのそのようなお考えを他人にわかるように遺言に記載しておくことが重要なのです」
「実は全財産を妻に渡し、長男には一銭も渡したくないのですが」
「それはわが国の民法では難しいのです」
「例の『遺留分』というやつが邪魔をするわけですな」
「ええ、そうです」
「先ほど伺った『持ち戻しの免除』でも遺留分に対抗できないのですか」
「はい、残念ながらそうです」
「そうですか。今日はよいことを伺った。先生にはマンションの相続税評価額を計算していただき、司法書士に贈与手続きをとってもらうことにしましょう。そうそう、遺言で持ち戻し免除の意思表示をしておくことも重要ですね」
解説
遺言がなく、相続人全員が集まって遺産を分けようとした場合、亡くなった時に残された財産を法定相続分によって分割するのが原則です。共同相続人の一部に被相続人から遺産の先払い(前渡し)とみられるような贈与や遺贈を受けた人(特別受益者といいます。)がある場合には、先払いされた遺産を足して相続分で分けないと不公平を生じます。そこで民法は具体的相続分を計算するときに特別受益を加算して計算することとしています。
このとき、贈与者が持ち戻しの免除の意思表示をしておくと贈与財産は具体的相続分を計算するときに加算を免れるのです(ただし、遺留分の計算をするときには加算されます。)。
書き方は次のとおりです。
Aさんの事例では、自宅の贈与について持ち戻しの免除の意思表示をしておけば、長男Yと後妻XはAさんが亡くなった時点の財産(金融資産5千万円)を1/2ずつ取得することになります。実質的に後妻Xは自宅と金融資産合計7千5百万円を取得できることになります。もし、自宅の贈与について持ち戻しの免除の意思表示がなければ(黙示の意思表示もないとされれば)、XとYは1億円(自宅5千万円+金融資産5千万円)を1/2ずつ分けることになるのです。
まあ、最初から相続させる遺言を作成し、妻に自宅と金融資産の半分を長男に金融資産の半分を相続させるという遺言を書いても同様の効果は得られるのですが、先に自宅を贈与しておくほうが後妻はより多く安心感を得られるでしょう。
現在、民法の相続編の改正作業が進行中です。今月(30年3月)には次の法案が国会に提出される予定です。
・民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律案
・法務局における遺言書の保管等に関する法律案(仮称)
この中に、配偶者保護のための方策として持ち戻し免除の意思表示の推定規定が加えられる予定です。法制審議会第180回会議配布資料「民法(相続関係)等の改正に関する要綱案」によると内容は次のとおりです。
民法第903条に次の規定を付け加えるものとする。
婚姻期間が20年以上の夫婦の一方である被相続人が、他の一方に対し、その居住の用に供する建物又はその敷地(第1・2の配偶者居住権を含む。)について遺贈又は贈与をしたときは、民法第903条第3項の持ち戻し免除の意思表示があったものと推定する。
民法が法案どおり改正されると上述のケースの場合、持ち戻しの免除の意思表示が明記されていなくても自宅は相続財産の計算に含まれないことになります。ただし、遺留分を侵害することはできません。遺留分の計算では特別受益(自宅の贈与)も入れて計算することが必要です。
高齢化社会に加え、離婚や再婚される方の増加を受け、いままで当然のことのように受け止められていた配偶者の居住権(夫が亡くなっても従前どおり妻が自宅に住んでいられる権利)を保護しようとする改正も盛り込まれています。自筆証書遺言を法務局が形式審査の後、預かってくれる制度も新設される予定です。
急速な高齢化を受け、民法も税法も変化を続けます。元気なうちに紛争の防止や相続税の節税を意識した遺言を書くことは重要です。ぜひベテランの税理士に(時には弁護士も交え)相談し、効果的な対策を行ってください。備えあれば患いなしです。
田中 耕司Kouji Tanaka税理士
JTMI税理士法人日本税務総研 https://tax365management.com/
JTMI税理士法人日本税務総研/相続支援ナビ https://souzoku.jtmi.jp/taxprime/
税理士法人日本税務総研 代表 大阪国税局・国税不服審判所、住友信託銀行(現三井住友信託銀行)勤務を経て、平成17年より現職。上場企業や中小企業の会計実務、不服審査実務にも通じた資産税の専門家。著書に『相続・贈与・遺贈の税務』(中央経済社)他。