賃貸物件を買うときに気をつけること
~原状回復をめぐるトラブルとガイドライン~
賃貸物件を売買で取得するにあたって気をつけることとして、今回は「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」をとりあげます。
賃貸物件を買うときには、現在の賃借人がどのような内容の賃貸借契約を締結して物件を占有しているのか、賃貸物件の「売主」であり、かつ、これまでの「賃貸人」である者から、説明をもらうとともに、実際に契約締結済みの賃貸借契約書の開示を求めるのが通常です。
そして、その「賃貸物件を買おうと考えておられる方」は、開示された締結済みの賃貸借契約書を読み、賃貸借契約内容はこの契約書に記載されている内容であると理解します。そのうえで、「賃貸物件を買おうと考えておられる方」は、その契約書の内容を新しい貸主として承継することを了解して、賃貸物件を買うことになります。
多くの賃貸借契約書には、賃貸借契約の効力がなくなり、借主が貸主に明渡す際には、借主が「原状回復」しなければならない、などと書かれています。
しかしながら、そもそも「原状」とは何を指すでしょうか。また、「最初に貸したときの貸主」は、貸したときの状況がわかっているでしょうが、途中で賃貸物件を売買で取得する貸主は、既に賃借人が占有している状態で所有権を取得したものですから、最初に貸したときの状況はわからないのが普通です。
「最初に貸したときの状況」が契約書に詳しく記載されているか、契約書に記載されていなくても、最初に貸すときの状況の写真等が残っているか、などが問題になります。また、仮に、それら客観的な裏付けが残っていたとしても、そもそも、「建物・設備等の自然的な劣化・損耗等(経年変化)」や「賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)」の場合の費用負担は貸主なのか、借主なのか、そのようなことで、トラブルが増加し、大きな問題となっていました。
賃貸物件を売買で取得するにあたっては、貸主として、借主に対し、将来の明渡の際、原状回復費用をどこまで請求できるのか、あるいは請求できないのか、請求できる条件はなにか、そのような問題意識のなかで知っておくべきこととして、国土交通省の定める「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」があります。
以下、項をかえて述べさせていただきます。
1 改正民法(令和2年4月1日施行)による賃借人の原状回復義務に関するルールの明文化
賃借人の原状回復の義務は、改正民法(令和2年4月1日施行)の前の旧民法では、条文はありませんでした。
しかし、改正民法(令和2年4月1日施行)によって、賃借人の原状回復の義務が明文化されました。民法621条です。次のように定められました。
「民法621条
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」
この改正民法の民法621条の定めは、従来の判例理論や実務の取扱いを追認して、条文が定められたものです。
この条文は、まず、賃借人は、「賃借物を受け取った後に生じた損傷」について、「賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う」として、賃借人には、原則として、損傷の原状回復義務があるとされました。そのうえで、2つの例外を定めています。
ひとつは、「通常損耗・経年変化」です。
民法621条本文かっこ書きで「(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。)」と定め、これを原状回復の対象外としました。
もう1つは、「賃借人に責任がない事由に基づく損傷」です。
民法621条ただし書きで「ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」と定め、賃借人に責任に帰すことができない事由であれば、原状回復の義務を負わせないとしました。
2 国土交通省の定める「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」
原状回復トラブルや敷金トラブルは、特にトラブルになりやすい事案であり、消費生活センターに毎年多くの相談が寄せられています。
このため、国土交通省は、原状回復にかかるトラブルの未然防止と迅速な解決を目的として、「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」(以下「ガイドライン」といいます)を策定し、原状回復の一般的な考え方を示しています。
また、令和5年3月には、国土交通省は、「『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン』に関する参考資料」もとりまとめています。
ガイドラインは、「その使用を強制するものではなく、原状回復の内容、方法等については、最終的には契約内容、物件の使用の状況等によって、個別に判断、決定されるべきものと考えられるので、具体的な事案ごとに必要に応じて利用されることが望ましい」とされていますが、そもそも、裁判例の集積に基づいて作成された指針であり、また、裁判所もその判断の中でガイドラインに言及し、あるいは実際上ガイドラインに依拠することも多く、原状回復を取り扱う際の意思解釈の基本ルールとして機能するに至っている、という見方がなされています。
ガイドラインの考え方には次のようなものがあります。
①
・建物・設備は時間の経過とともに、価値が減少していきますが、「経年変化」と「通常損耗」分の修繕費用は賃料に含まれると考えられますので、「経年変化」と「通常損耗」に対しては原状回復義務がありません。
・賃借人が原状回復義務を負うのは、故意・過失、善管注意義務違反等による損耗等に限られます。落書き、誤ってつけたキズ、結露を放置しために拡大したカビやシミなどは原状回復義務を負うことになります。
・ガイドラインでは「原状回復とは、賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」と定義されています。
②
・退去時に故意・過失、善管注意義務違反等による損耗等があり、賃借人に原状回復義務があると判断される場合でも、費用を全て賃借人が負担するわけではありません。具体的には、耐用年数が経過した設備について、残存価値1円となるような直線(または曲線)を想定し、負担割合を算定するものです。
・賃借人が原状回復義務を負う場合にも、建物や設備等の経過年数を考慮し、年数が多いほど賃借人の負担割合を減少させることが適当です。
③
・原状回復は、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反等による毀損部分の復旧であることから、賃借人の負担範囲は、可能な限り、当該毀損部分に限定し、毀損部分の補修に必要な最低限度の工事費用に限定することが基本になります(一枚、㎡といった単位での費用)。
・ただし、毀損部分と補修工事施工箇所にギャップが発生してしまう場合(たとえば、補修箇所のみ色のトーンが異なってしまう場合など)、物件の商品価値の維持のため補修箇所を含む一面分とか全体のクロスの張替えを行うこともあります。
3 退去時のトラブル防止のための留意点
①「契約内容の確認の必要性」
退去する際の原状回復に関して、賃貸借契約書上、民法やガイドラインの内容とは異なる特約が定められている場合があります。
退去時の原状回復に関してどのような内容が定められているのか、十分に確認する必要があります。
②「賃借人に特別の負担を課す特約の成立要件」
賃貸借契約では、契約自由の原則により、賃借人に特別の負担を課す特約を設けることもできますが、ガイドラインでは、最高裁判例や消費者契約法の規定を踏まえ、賃借人に特別の負担を課す特約が有効に成立するための3つの要件を記載しています。
Ⅰ 特約の必要性があり、かつ、暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること
Ⅱ 賃借人が特約によって通常の原状回復義務を超えた修繕等の義務を負うことについて認識していること
Ⅲ 賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること
以上のⅡとⅢについては、手続きが問題となります。「賃借人が負担することとなる通常損耗等の範囲」が「契約書に明記」されており、「賃借人」が「その内容を理解」し、「契約内容とすることを明確に合意」していることが必要としています。
また、退去時のトラブルを防止する観点から、賃借人が将来負担することになる原状回復等の費用がどの程度のものになるか、単価等を明示しておくことも重要と考えられます。
③「物件の状況の確認・記録」
・入居前から付いていたキズ等は賃借人による原状回復義務の対象とはなりませんが、原状回復に関するトラブルは、入居時にあった損耗か否かや、損耗の発生時期などの事実関係が判然としないことが大きな原因となっています。また、契約期間が長期にわたる場合には当事者の記憶が曖昧になる可能性もあります。
・退去時のトラブルを防止するため、損耗の有無や交換時期、具体的な状況について、賃借人及び管理会社または賃貸人(以下「管理会社等」という)の双方で認識を共有しておくことが重要です。入居時の物件の状況を十分に確認し、確認リスト等に記録しておくとともに、入居中に生じた損耗か否かを判断するための客観的な証拠として写真を撮影しておくことが有効です。
賃貸物件を売買で取得するにあたっては、開示された締結済みの賃貸借契約書を読み、賃貸借契約内容を確認しますが、その賃貸借契約書を単に表面的に読むのではなく、民法やガイドラインを理解いただいたうえ、民法やガイドラインにてらして、その契約書にどのような違いがあるか、どの点が問題・リスクと考えられるか、など注意する必要があります。









