「名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース」【画像は昭和戦前期】
古くから、八事周辺の山々は神社仏閣が開かれた信仰の地であり、また、緑の木々や四季折々の花が楽しめる景勝地でもあった。この地へでかける人々は『山行き』などと称し、名古屋の中心部から「岡崎街道」(明治期以降の「飯田街道」)を徒歩でたどってきた。明治末期になると「愛知馬車鉄道」が開通し、「八事電車」へと変わる中で、交通も便利になるとさらに人気が高まり、名古屋近郊の格好の行楽地となった。
八事にできたレジャー施設には、遊園地、競馬場のほか、ボート場、釣り堀などがあった。遊園地などで販売されていた「八事の蝶々」は和紙で制作された八事地域の伝統玩具で、明治初期に考案されて以降、八事の名物となっていた。また、広大な土地を生かして、グラウンド、野球場も建設された。「山本球場」「尾電八事球場」などの球場が誕生し、大学野球や中学校(旧制)野球の人気が高くなったことで、多くの人が観戦に訪れた。また、現在では「伝統の一戦」ともいわれるプロ野球の「東京読売巨人軍」と「阪神タイガース」の初となる対戦(当時は日本職業野球の「東京巨人軍」と「大阪タイガース」)も「山本球場」で行われている。
行楽地である八事には大衆だけでなく、政財界人なども多く訪れた。その拠点の一つであったのが「八勝倶楽部」が経営していた料理旅館「八勝館」。当時、名古屋に訪れた要人を接待する場所としても利用され、1929(昭和4)年に、県下で初のゴルフ場として「名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース」が誕生すると、合わせて接待に多く利用されたという。現在の愛知郡東郷町にある「和合コース」は「太平洋戦争」中は閉鎖されていたが、米軍の接収を経て、1953(昭和28)年に再建、現在も歴史あるゴルフ場として営業を続けている。