1932(昭和7)年頃、名古屋市は、「鶴舞(つるま)公園」の動物園(1918(大正7)年開園)の敷地が狭かったため、移転先を検討していた。また、同年「東邦瓦斯」より市へ植物園の整備費寄付の申出や「名古屋博物学会」から植物園整備の陳情もあったことから、動物園・植物園を含む公園計画を策定、用地の確保など準備を進めた。公園の名称は「東山公園」と定められ、1935(昭和10)年に一旦開園。その後、植物園と動物園の建設が進められ、1937(昭和12)年に開園した。
「東山動物園」は、ドイツの動物商で「ハーゲンベック動物園」の園長でもあったハーゲンベック氏の助言を得て作られた。動物もハーゲンベック氏から多数購入したほか、「木下サーカス」からも4頭のインドゾウを購入するなど、施設・展示動物が充実し『東洋一の動物園』と呼ばれるようになった。また、「東山植物園」には『東洋一の水晶宮』と呼ばれる大温室も建設された。
戦時中、植物園は軍に接収され休園、空襲の爆風により温室のガラスが割れ、多くの栽培植物が死滅、自然林も燃料確保のため伐採されるなど荒廃した。動物園では治安維持を理由に、猛獣類の射殺が命じられ、また栄養失調などからほとんどの動物が亡くなり、インドゾウのマカニーとエルド、チンパンジー1頭、鳥類約20羽のみが終戦の日を迎えた。
1963(昭和38)年、名古屋市営地下鉄の1号線(現・東山線)が池下から東山公園まで延伸された。写真は開通記念式の様子で、動物園のトラ(写真左)もテープカットに参加している。地下鉄の延伸で、この年の動物園入園者数は185万人から246万人へ増えた。
【画像は1963(昭和38)年】
終戦後、動物園・植物園の復興が進められ1946(昭和21)年3月に再開園。動物園の動物たちも年々増え1955(昭和30)年に戦前並みの規模に復活した。1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」でも大きな被害を受けるも再び復興を遂げ、1968(昭和43)年に動物園・植物園が統合され「東山動植物園」となった。